アナログテレビ放送開始
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1960年10月1日にはテレビ放送を開始。ニュースネットワークはTBS(当時の社名はラジオ東京)と繋がりがあったことや、九州各県の先発局がJNNに加盟していたこと、マイクロ回線事情を考慮した結果、JNNに加盟することとなった。 アナログテレビ放送開始に先立ち1960年7月に報道部を設置。ローカルニュースは『JNNテレビ夕刊』(月曜 - 土曜 18:45 - 18:55)の後半を差し替える形で放送し、また、最終版(平日21時台、土日22時台)の全国ニュース番組名(JNNニュース)を『日向日日新聞ニュース』と改題しており、『テレビ夕刊』終了後に起こったニュースがあれば全国ニュースから差し替えて放送していた。日曜日には『RMKローカル週間ニュース』が編成されており(サービス放送期間中の1960年9月25日より開始)、1960年12月11日から『週間郷土の話題』と番組名を変更し、1970年9月まで放送された。当時のNHK宮崎放送局は下りマイクロ回線未開通の影響で鹿児島局の電波をそのまま放送していたため、ラジオ宮崎のみがローカルテレビニュースを放送していた。なお、1964年8月までは上りマイクロ回線が未開通だったため、ニュース素材(フィルム)を福岡のRKB毎日放送まで輸送しなければならなかった。 テレビ放送の送信所は当初宮崎市北部の丘陵地、平和台に設ける予定であったが、中継局を大量に設置する必要があったため鰐塚山に変更された。この変更で親局のみで宮崎県内の約8割をカバーするに至った が、鹿児島県側にもスピルオーバーが発生し、鹿児島県の放送局にも影響を及ぼすことになった。特に大隅半島では容易に視聴できたため、南日本放送は自社の視聴者確保のために急遽鹿屋中継局(同局初の中継局)の設置計画を立てることとなり、ラジオ開局時と逆の事態が発生した。1961年7月には社名と略称を現在の宮崎放送(MRT:Miyazaki Radio & Television)に変更。1966年12月10日にカラー放送を開始した。
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