アナタハンブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:22 UTC 版)
「アナタハンの女王事件」の記事における「アナタハンブーム」の解説
週刊朝日7月22日号は「二十人に記者四百人」の見出しを付け、報道が過熱していたことがわかる。報道各社が帰国した男たちの『引抜き合戦』に火花を散らした。カストリ雑誌は、露骨な性描写の読み物小説を挿絵入りで掲載。「アナタハン」は「長い間ご無沙汰」を意味する言葉として、流行語となる。同年内には兵助丸の1等水兵・丸山通郎の手記「アナタハン」が出版され「ただ、ひとりの女をめぐって、自分の若い情熱を傾けつくして、花火のように自分の生命を散らしてしまった人」と、和子をめぐる男たちの争いがあったことを示唆したが、他の帰国者らは一様に人間関係について言葉を濁したことから、さらなる憶測を呼んだ。翌年には、丸山は別の徴用船「海鳳丸」の乗組員である陸軍2等兵だった田中秀吉と共著で「アナタハンの告白」を出版したが、「はじめに」には「あの不条理な孤島生活にこそ生まれえた人間の悲しい宿命的、原初性をかい間見たのである」と書かれ、はるかにスキャンダラスな描写であり、和子をめぐり殺人が7~9件起こったと記した。 こうして、一連の怪事件はその後大々的に報道され、日本国内で「アナタハンブーム」となり女性のブロマイドが大変売れた。和子は「男を惑わす女」としても報道され、大衆の好奇の目に晒されたばかりか映画化も行われた。現場が孤島であった上に、戦中から終戦の混乱と、その後の日本委任統治からアメリカ信託統治への移行という、統治の空白地帯で発生した事件のため、現在でも死亡の原因について不明な点がある。 渡邉恒雄は当時週刊のタブロイド紙であった読売ウイークリーの若手記者時代に、アナタハンで暮らす日本人の情報をいち早くつかんでいた。当てもなく訪ねた三浦半島城ヶ島の漁師から偶然仕入れた話だったが、デスクが読売新聞に報告せず、ウイークリーの特ダネにしようとした結果、同紙が出る前日に毎日新聞が同じ話を社会面のトップで報じたため、特ダネを逃している。
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