アティテュード時代
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「マンデー・ナイト・ウォーズ」の記事における「アティテュード時代」の解説
毎週ナイトロに負け続けるロウであったが、スティーブ・オースチンをWWF王者にしてからは視聴率は回復していた。1998年の春までに、視聴率戦争はWWFが優位に立った。WWFは、この時期、番組タイトルの会社ロゴには "WWF Attitude" という文字が使われたため、のちに「アティテュード時代」と呼ばれる時代に入っていた。 この時代の特徴は、ビンス・マクマホンとライターのビンス・ルッソーの双頭政治の時代と言える。マクマホンはモントリオール事件以降、「ミスター・マクマホン」という名で、彼の選んだヒールとともに好き勝手に団体を支配するという「悪のオーナー」のキャラクターを演じるようになった。さらにマクマホンはオースチンとの長い抗争を始めた。この二人の抗争は、まさにWWFを救うことになった人気アングルであった。『レッスルマニア14』で、オースチンが彼にとって初めてのWWF王座を獲得した日は、1時間目にはロウはナイトロに勝つことができたが、2時間目では維持することができなかった。トータルではこの日はWCWが勝利した。その後接戦が続き、ついに1998年4月13日、ロウは1996年6月10日以来、初めてナイトロに勝利した。この日はオースチンとマクマホンの試合が組まれたのだが、ミック・フォーリーが上がってオースチンを攻撃し、試合自体が行なわれなかった。この頃、ロウには新しいキャラクターが頭角を現してきていた。ミック・フォーリーはマンカインドとして活躍し、またベビーフェイスのロッキー・メイビアはヒールターンしてザ・ロックになり、ネーション・オブ・ドミネーションのメンバーとして目立った。ベテランのアンダーテイカーは、ケインとの「兄弟」抗争が人気だった。レッスルマニア14の後、背中の負傷で引退したマイケルズに代わり、トリプルHがDXのリーダーとなりニュー・エイジ・アウトローズと、WCWから戻って来たX-パックを加えてDX軍となった。 1998年4月27日のナイトロは、DX軍による有名なアングルとして記憶に残る。この夜、ナイトロはバージニア州のノーフォーク・スコープにて収録され、一方のロウ・イズ・ウォーは、距離的に近いハンプトン・コロシアムでの収録だった。DX軍はその日の興行が行なわれる前に、メンバー全員で戦闘用のジープに乗ってナイトロの会場までアポなしで「侵略」し、エリック・ビショフとの面会を要求したが、警備員に入場を拒否された。拡声スピーカーで「WCWなんて格下の団体の試合なんて見る必要ねえよ。WWFこそ最高だ」「(観戦に来ていた客に向かって)このチケットは購入したんじゃなくてWCWがバラ撒いたタダ券だよな?」といったマイクパフォーマンスで、WCWのネガティブキャンペーンとWWFの宣伝を行ってから、ロウの会場に戻った。 WWFはアングルとキャラクターの設定を、大人向けにシフトして、ロウの視聴率を順調に伸ばした。
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