アスタナ移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 06:51 UTC 版)
「アンドレアス・クレーデン」の記事における「アスタナ移籍」の解説
友人でもあったウルリッヒを疑惑の段階で解雇したチームに不信感を抱いていたこともあり、2007年からはアスタナ・チームに移籍。T-モバイル時代のチームメイトでアスタナの絶対的エースであるアレクサンドル・ヴィノクロフのアシストを務めることになった。そして、幸先よく同年のティレーノ〜アドリアティコで総合優勝を果たして久々のビッグタイトルを獲得。そのまま好調を維持してツール・ド・フランスに参加した。 ところがエースのヴィノクロフは第5ステージでの落車によって遅れてゴールし、また、そのときに負ったケガの影響で総合成績が伸び悩むことになった。これに対し、クレーデンは総合トップ10内をキープし続け、エース交代かとささやかれた。第8ステージでは自分がタイムを失うことを承知で、遅れそうになるヴィノクロフを牽引しながらゴール。あくまでもヴィノクロフのアシストの立場を崩さなかったが、ヴィノクロフがさらに遅れ始めた第9ステージの途中で、当時アスタナ・チームの最大のスポンサーであるカザフスタン政府の防衛大臣からチームの監督に「エースをクレーデンに交代せよ」と指示するメールが送られた。クレーデンはその後第13ステージ終了時点で4位。展開次第ではトップも狙える位置につけていた。 しかしピレネーを舞台にした第14・15ステージではアルベルト・コンタドール、ミカエル・ラスムッセンらに終盤の登りで引き離されてしまう。さらに第16ステージ開始前にはヴィノクロフのドーピング疑惑により、表彰台を十分に狙える位置にいたにもかかわらず他のアスタナ・チーム全員とともに棄権させられたうえ、以後のレースへの参加もできなくなる悲哀を味わう羽目になった。 このスキャンダルによりチーム全体の建て直しが急務となったため、アスタナは2007年シーズンをもって解散したディスカバリーチャンネルから元監督のヨハン・ブリュイネールらスタッフ陣を招聘。さらに2007年のツール・ド・フランス総合優勝者のコンタドールや3位のリーヴァイ・ライプハイマーらの有力選手も獲得。チームは再スタートを切ることになり、クレーデンは2008年からは彼らと共に走ることとなった。
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