アスタナ移籍後の不運
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 13:52 UTC 版)
「アルベルト・コンタドール」の記事における「アスタナ移籍後の不運」の解説
2008年は、エースだったアレクサンドル・ヴィノクロフをドーピング疑惑で失い、チームの建て直しが急務だったアスタナに監督として迎えられたヨハン・ブリュイネールから誘いを受けたこともあり、ライプハイマーら5名のチームメイトとともにアスタナへ移籍。 しかし、この年はUCIとアモリ・スポル・オルガニザシオン(ASO)の対立のあおりで、前年度に大きなドーピング問題のあったアスタナをASOが主催するレースには招待しないという表明(詳しくは、パリ〜ニース2008#ASOがUCIを排斥を参照)がなされ、前年度の総合優勝者でありながらツール・ド・フランスの出場が不可能となってしまったほか、ジロ・デ・イタリアを主催するRCSがジロ・デ・イタリアについてもアスタナを招待しないことに決したことから、一時は当年のジロ出場も不可能となった。
※この「アスタナ移籍後の不運」の解説は、「アルベルト・コンタドール」の解説の一部です。
「アスタナ移籍後の不運」を含む「アルベルト・コンタドール」の記事については、「アルベルト・コンタドール」の概要を参照ください。
- アスタナ移籍後の不運のページへのリンク