アイバーソンの時代
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「フィラデルフィア・セブンティシクサーズ」の記事における「アイバーソンの時代」の解説
アイバーソンは新人王を受賞する活躍を見せたがチーム成績はリーグの下位をさ迷った。状況が好転し始めるのは、監督にラリー・ブラウンを迎えた1997年以降だった。チームは、スター候補生であったジェリー・スタックハウスやティム・トーマス、デリック・コールマンを放出し、アーロン・マッキーやエリック・スノウらを獲得。ディフェンシブなチーム作りを行った。ロックアウトで短縮された1999年、アイバーソンは得点王になり、シクサーズは28勝22敗と8年ぶりに勝ち越した。 翌2000年には49勝33敗、続く2001年も開幕10連勝と快進撃は止まらなかった。チームはオールスター後に、怪我の多かったセオ・ラトリフ、トニー・クーコッチ、ナジー・モハメドをトレードに出し、センターのディケンベ・ムトンボを獲得する。ディフェンスはさらに強化され、56勝26敗で東地区首位に立った。このシーズンは、再び得点王になったアイバーソンがMVP、ムトンボがディフェンス王、アーロン・マッキーがシックススマン賞、ブラウンが最優秀監督賞受賞とチームで4冠を獲得した。プレイオフでシクサーズは18年ぶりにNBAファイナルまで勝ち進み、ロサンゼルス・レイカーズと対戦。初戦は延長の末勝ったが続く4試合を落とし、優勝を逃した。 その後チームは、2001年にドラフトでサミュエル・ダレンベアを指名、コールマン、キース・ヴァン・ホーン、グレン・ロビンソンらをトレードで獲得したが、勝率は5割前後を推移した。2003年にはラリー・ブラウンが監督を退き、後任には数人の監督が交替で務めた。2004-05シーズン途中でクリス・ウェバーがトレードでチームに加わり、もう一人のチームの核となった。翌2005-06シーズンからチークスが監督を務め、2004年にドラフトで全体9位指名でシクサーズに入団したアンドレ・イグダーラが成長を見せ、チームに大きく貢献している。アイバーソンとイグダーラは、二人の頭文字を取ってダブルAIと呼ばれ、バックコートでコンビを組んだ。 05-06終了後にアイバーソン移籍の噂が錯綜。一時は噂が途絶えたが、06-07シーズンが開幕して間もない12月上旬にフロントがアイバーソン放出を明言し、結果が残せなかったチームは再編を迫られることになった。12月19日にデンバー・ナゲッツのアンドレ・ミラーらとのトレードが成立し、アイバーソンの時代は幕を閉じた。また、ウェバーも2007年1月11日に解雇(バイアウト)されデトロイト・ピストンズへ去った。
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