東雲
東雲(しののめ)とは、「夜明けの空が東方から徐々に明るんでゆく頃」を意味する古語・雅語。「とううん」と音読みして「東の空に浮かぶ雲」の意味で用いる場合もある。
東雲(しののめ)の語源
古語としての「東雲(しののめ)」は平安時代の「古今和歌集」などに用例が見出せる。もともと「しののめ」という読み方は「篠の目」から転じた語とされる。篠の目は、住居に採光の用途で設置された篠竹の目のこと。(篠の目から射す光量はそう多くない)。明け方の薄明を篠の目になぞらえて「しののめ」と呼ぶようになり、さらに明け方を象徴する「東雲」が当て字されて、「東雲(しののめ)」という語彙が成立したと考えられている。季語としての「初東雲」
「東雲」そのものは季語ではないが、元日の夜明け方を意味する「初東雲」は新年の季語である。東雲の同義語・類義語
東雲と同様「夜明けの頃」を意味する日本語表現としては、「東雲」の他にも「曙(あけぼの)」や「暁(あかつき)」、あるいは「明け方」「夜明け方」などが挙げられる。いずれも同義語といえる。英語では dawn が訳語として対応する。東雲の用例
「東雲」の用例としては、紀貫之が詠んだ「夏の夜の / ふすかとすれば / 郭公(ほととぎす) / 鳴くひと声に / 明くるしののめ」が著名である。これは古今和歌集に収められている。古今和歌集にはこの他に2首「しののめ」を含む歌が収載されている。東雲はいわゆる雅語・雅言であり、現代の日常会話ではなかなか、ぴったり合う使用機会が想定しにくい。詩的ニュアンスを込めて敢えて東雲という語彙を選ぶような場面でなければ使われない類の言葉といえる。
「あす朝一番で使う資料を徹夜で泣きながら作成、何とか間に合う目処がついてホッと一息ついて窓の外を見たら東雲が美しかりけり」というような諧謔を含む使い方はアリかもしれない。
とううんと同じ種類の言葉
- とううんのページへのリンク