つくばエクスプレス開業以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:20 UTC 版)
「つくば号」の記事における「つくばエクスプレス開業以前」の解説
1987年(昭和62年)4月の運行開始直後から予想を上回る利用があり、夕方の東京駅発で積み残しが出たり、つくばセンター発の途中停留所(当時は竹園二丁目、並木大橋の2か所)では乗れないというケースが続発する などしたため、運行開始後わずか半年で増便されたが、それでも常時続行便を10数両出すほどの状態になった。つくば発の便では始発のつくばセンターで満席になり、途中停留所からの乗客のために臨時便を手配することになり、運行会社が当時の運輸省から見込みの甘さを指摘される事態になった。 その後も増便が続き、一時は東京駅を発着する高速バスとしては最も多い平日88往復(現在はかしま号の88往復)を運行し、ピーク時には10分間隔で運行されていたが、日によっては積み残しが常態化し、2台同時発車や臨時便が運行されることがあるほどであった。 これは当時東京都23区と筑波研究学園都市間の直通公共交通機関は高速バスのみであり、同市内の研究機関に来訪する研究者・技術者、学生、さらには一般住民など、多種多様な行動パターンを持つ多くの人々が利用していたからである。特に学園都市での学術会議開催時や筑波大学の入学試験時などでは、東京駅にてバス4台から5台分、150人から200人という極めて長い列ができていたこともあった。 八重洲南口バスターミナルに収まりきれず南側に延びた列は、八重洲ブックセンター前の横断歩道付近にまで達していた。毎週金曜日は夕方以降に常に長蛇の列が形成され、必ず係員が「つくば号最後尾」と書かれた札を掲げて列最後尾を案内していた。また、八重洲南口バス乗り場が長距離路線と中距離路線で乗り場を分離する以前は、客層の違う夜行バス客との混乱を避けるため、夜行高速バスが多く発車する時間帯に乗り場位置の南寄りへの変更も行われていた。 こうした混雑対策の一環として、一般的な高速バス2両分の定員を有する2階建てバス「メガライナー」が日本国内で唯一運用されていた。このバスは道路法及び車両制限令による制限を超える全長 (15m) であることから、国土交通省から認められたルートを外れて走行することができず、一部のバス停にメガライナー便が停車できなかった。
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