ただ1両のみの再起
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:59 UTC 版)
「阪急380形電車」の記事における「ただ1両のみの再起」の解説
本形式は、320形や500形と同様、1960年代後半に予定された神宝線の架線電圧1,500Vへの昇圧に際しては昇圧改造の対象外となり、1964年以降昇圧即応車として大量に増備された3000・3100系に置き換えられることとなった。1966年12月まで運用されていたが、昇圧前に500形とともに能勢電気軌道に貸与された。 1967年5月、休車状態のまま能勢電気軌道の平野車庫に搬入されて構内に留置された。この頃の能勢電気軌道では乗客増を見越して、先に運用を開始した320形や本形式のほか500形23両も平野車庫に搬入しており、500形は複線化や路線改良のたびに実施されたダイヤ改正に伴う輸送力増強に際して順次整備の上就役していったが、本形式の就役は後回しとされたまま、留置され続けた。その後、1975年に能勢電において本形式の就役が検討されたものの、長期間屋外に留置されていたために状態が悪く、結局383のみ整備のうえ同年4月1日付で同社に貸与され、他の車両は7月24日付で阪急籍のまま廃車されて現地で解体された。 ただ1両復帰した383は、車内はクリーム色の塗り潰しに変更され、標識灯を埋め込み形に変更されるなど、500・320形と同様の整備が行われた。復帰当初こそ先頭に立つ姿が見られたが、列車無線取り付けの際に対象外とされた結果、500形の中間に挟まって5両編成で使用されるようになった。1977年6月に能勢電鉄に譲渡、1979年に車体更新及び中間車化された。この際、特徴ある屋根ベンチレータが500形同様の箱型のものに変更されている。 その後も500形の中間車として使用されていたが、1500系の増備に伴って編成を組んでいた500形とともに1985年8月1日付で廃車された。 この383だけは車内の壁は木目調のままでクリーム塗装にはなっていなかった。
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