その後の上演史とは? わかりやすく解説

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その後の上演史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 14:57 UTC 版)

牧神の午後 (バレエ)」の記事における「その後の上演史」の解説

フォーキン失ったバレエ・リュスではニジンスキーが『遊戯』(1913年初演)、『春の祭典』(同)を振付けるが、ニジンスキー勝手に結婚したことがきっかけとなってディアギレフ解雇された。それでも『牧神の午後』はバレエ・リュスレパートリーとして残りレオニード・マシーン、ニジンスカ、レオン・ヴォイジコフスキー、セルジュ・リファールらが牧神役を踊った1929年ディアギレフ死去しバレエ・リュス解散となるが、第二次世界大戦までに、マリー・ランベート(ランベール)のバレエ・ランバートマシーンとルネ・ブルムのバレエ・リュス・ド・モンテカルロバジル大佐バレエ・リュス・ド・モンテカルロアメリカン・バレエ・シアターなど数多くのバレエ・カンパニーがバレエ・リュスダンサー達の記憶基づいて牧神の午後』を上演した戦後には、1976年パリ国立オペラレオニード・マシーンとロモラ・ニジンスキー(ニジンスキー未亡人)の記憶基づいてニジンスキー振付再演し1980年にはジョフリー・バレエ団バレエ・ランバートでの版を復活上演した。 一方第一次世界大戦中ニジンスキーが独自の方法書き残した舞踊譜戦後になってからアン・ハッチソン・ゲストやクラウディア・イェシュケらの努力によって解読され一般的な舞踊記譜法であるラバノーテーション(ラバン記譜法)に翻訳され出版された。これにより、ニジンスキー振付は完全に近い形で再現されるようになり、1988年にはロイヤル・バレエ・スクールによるビデオ収録、翌1989年にはジュリアード音楽院による復元上演、グラン・バレエ・カナディアンによる劇場公演が行われた。 現在、『牧神の午後』は上記のほか、ニンフ1人しか登場しないデュエット版、牧神しか登場しないソロ版など、さまざまなバージョンにより公演が行われている。

※この「その後の上演史」の解説は、「牧神の午後 (バレエ)」の解説の一部です。
「その後の上演史」を含む「牧神の午後 (バレエ)」の記事については、「牧神の午後 (バレエ)」の概要を参照ください。

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