その後の一龍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 08:30 UTC 版)
1998年11月、小沢党首は古巣の自民党との政権協議に合意し、自自連立政権(翌年に自自公)が発足した。2000年4月、小渕首相が病気退陣し、森首相が誕生。小沢は自自公連立政権から離脱する方針を示すも、離脱反対派は離党し保守党を結成、自由党は分裂。同年6月の衆院選は現有議席から微増の結果に終わる。 小渕亡き後、橋本元首相が小渕前首相の後継の派閥会長に就任した。2001年4月、橋本は復権を目指し(派内の人材難という面もあったが)、森首相の後継総裁選に出馬するも小泉純一郎に惜敗。2003年9月、自民党の総裁選で橋本派が分裂選挙に追い込まれ小泉再選を許す。 一方小沢は、2003年に自由党を民主党と合併させた。小沢は党代表代行に就任。翌2004年、小沢は、年金未納問題で辞任した菅直人民主党代表の後任と騒がれたが、小沢自身にも年金未納が発覚。責任を取るとして代表就任を辞退し、党の役職から去る。 同じ2004年、日歯連闇献金事件に絡み、橋本は派閥会長を辞任し派閥を退会する。翌2005年には、いわゆる郵政解散に伴い橋本が政界を引退する。 2006年4月、小沢が民主党代表選に出馬し菅直人を破って代表に就任。同年7月1日、橋本死去。 小沢は橋本の死後、民主党への政権交代を経て2012年に民主党を離党、国民の生活が第一、生活の党の代表を歴任する。
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