ごさが‐てんのう〔‐テンワウ〕【後嵯峨天皇】
後嵯峨天皇
1242年事故で四条天皇が十二歳で夭逝すると、四条天皇には後嗣がないので後嗣をめぐって確執が生じた。
当時実権を握っていた九条道家は順徳上皇の皇子の忠成親王を擁立しようとし、朝廷の西園寺公経らの公卿の賛同を得た。
しかし、鎌倉幕府は、順徳上皇が承久の乱に関与していたためにこれを拒否し、鎌倉幕府執権北条泰時は、承久の乱に際しては関与していなかった土御門院から邦仁親王を後嗣として選び、邦仁親王は1242年に即位して後嵯峨天皇となった。
こののち後嵯峨天皇は4年後の1246年に、四歳の後深草天皇に譲位して院政を始めた。
さらに、後深草天皇を弟の亀山天皇に譲位させた。
自らは26年間にわたり「治天の君」として院政を行った。
また後嵯峨は幕府の要請を受け入れ、皇子の宗尊親王を将軍(宮将軍・皇族将軍・親王将軍)として鎌倉に送った。
以後宮将軍は鎌倉幕府の滅亡まで続いた。
この頃鎌倉幕府では、執権北条氏による得宗政治が行われるようになった。
第88代天皇 | |
天皇名 | 後嵯峨天皇 |
読み方 | ごさがてんのう |
名・諱等 | 邦仁親王 |
読み方 | くにひとしんのう |
時代区分 | 中世 |
天皇在位 | 1242年から1246年 |
生年 | 1220 |
没年 | 1272 |
父 | 土御門天皇 |
母 | 源通子 |
兄弟 | 尊守親王・道仁親王 |
配偶者 | 西園寺キツ子 |
皇子女 | 宗尊親王・久仁親王 |
即位宮 | 平安京 |
天皇陵 | 嵯峨南陵 |
所在地 | 京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬 |
後嵯峨天皇 嵯峨南陵
(ごさがてんのう さがのみなみのみささぎ)
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