うめだうんぴんとは? わかりやすく解説

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うめだ‐うんぴん【梅田雲浜】


うめだうんぴん 【梅田雲浜】

江戸末期儒学者若狭国福井県小浜藩士の次男で、性は矢部だが、祖父生家梅田家を継ぐ。雲浜は号で、名は定明。山崎闇斎派の学を学び陽明学批判した藩政批判もして士籍を削られ尊皇攘夷唱えてロシア襲撃企て幕閣改造考え極貧のうちに安政の大獄坐し江戸獄舎病死。(一八一五~五九)

梅田雲浜 うめだ うんぴん

梅田雲浜の肖像 その1
文化12年6月7日安政6年9月14日1815~1859)

福井小浜生まれ。父は小浜藩士。藩校の順造館に入り崎門学(きもんがく)を学び京都江戸遊学267歳の頃、祖父本姓梅田名乗る以後大津湖南塾を開き京都の望軒講主となる。海防に関する建書を藩に送ったが、これが藩主酒井忠義忌諱にふれ、嘉永5年(1852)に士籍を削られた。ペリー来航後、尊王攘夷派中心となり、日米通商条約調印反対や、一橋慶喜擁立大老井伊直弼排斥などを図った安政の大獄が始まると捕らえられ江戸で取り調べ中に病死した。

キーワード 学者
号・別称 定明

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

梅田雲浜

読み方:うめだ うんぴん

幕末の志士若狭国小浜藩矢部十郎義比の次男本姓矢部、名は義質・定明、通称は源二郎別号湖南・東塢。朱子学を学ぶ。幕府批判により追放され浪人となる。尊王攘夷唱え将軍継嗣問題では一橋派属し大老井伊直弼排斥企てたため、安政の大獄の際捕らえられた。安政6年(1859)歿、45才。贈正四位


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