いわゆるタトゥー問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/02 05:35 UTC 版)
「エフゲニー・ニキーチン」の記事における「いわゆるタトゥー問題」の解説
2012年のバイロイト音楽祭、ニキーチンは「音楽祭初のロシア人歌手」の栄誉をもって『さまよえるオランダ人』のオランダ人を歌うことになっていた。ニキーチンとバイロイトのつながりは2010年ごろにヴォルフガング・ワーグナーの長女カタリーナ・ワーグナーと指揮者のクリスティアン・ティーレマンからミュンヘンでのオーディションに招待されたのが初めてであり、音楽祭直前のインタビューでは、バイロイトへの出演は自分にとって難しい試験であり非常に緊張していると語った。また、自身のタトゥーはパスポート代わりだとも述べ、バイロイトではタトゥーをすべて衣装で覆い隠すから大丈夫であろうとも述べていた。 ところが、音楽祭の開幕を5日後に控えた7月20日、ZDFの番組で「ヘヴィメタルのバイロイト - ロッカーのオペラ・スター」と銘打ったニキーチンの特集番組を放送したところ、番組で使われていた2006年ごろに撮られたプライベート映像に映るニキーチンの胸にハーケンクロイツを仕込んだタトゥーがあることが発覚し、一大騒動に発展した。突然沸き立った騒動に対してニキーチンは、タトゥーは1989年から1991年ごろにかけて北欧神話などを題材にして彫ったこと、自分はナチ・シンパでもなければネオナチでもないこと、現在は別の彫り物で消していることを釈明した。しかし、バイロイト音楽祭ではヴィニフレート・ワーグナーとアドルフ・ヒトラーが濃厚な関係であったがゆえにナチの牙城の一つとして祭り上げられた反省から、ナチ関連の事項に関しては敏感であった。バイロイトに限らずとも、ドイツやヨーロッパではナチを連想させるものは、基本的にタブーである。 最終的にニキーチンはカタリーナやエーファ・ワーグナー・パスキエなど主催者側やマネージャーとの協議の結果、開幕が迫った音楽祭から身を引くこととなり、代役には急遽韓国出身のバリトンであるサミュエル・ユンが立てられることとなった。音楽祭広報を通じてニキーチンはバイロイトとナチの関係については不勉強で無知であり、タトゥーを彫ったのは若気の至りであったと謝罪した上で、音楽祭から去っていった。騒動について、オーディションの上ニキーチンの起用を決めた一人のティーレマンは、「ハーケンクロイツはバイロイトでもオーストラリアでも駄目だ。ナチを連想させる軍服なども見たくない。うんざりする」と述べた上で、ニキーチンがタトゥーについて曖昧な態度をとったため大騒動に発展したのであり、ニキーチンの釈明に関しても「真実を語っていない」と斬って捨てた。
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