足尾銅山跡
通洞坑
宇都野火薬庫跡
名称: | 足尾銅山跡 通洞坑 宇都野火薬庫跡 |
ふりがな: | あしおどうざんあと つうどうこう うつのかやくこあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 栃木県 |
市区町村: | 日光市 |
管理団体: | |
指定年月日: | 2008.03.28(平成20.03.28) |
指定基準: | 史6 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 足尾銅山跡は栃木県西部に位置する日光市足尾町に所在する。採鉱・選鉱・製錬の一連の工程を示す施設のほか、生活・経営その他に関わる諸施設・遺構からなる。 天文19年(1550)に発見されたと伝えられるが、本格的な経営は慶長15年(1610)で、慶安元年(1648)からは幕府の御用銅山となった。明治4年(1871)民間に払い下げられていたものを、同10年(1877)、古河市兵衛が買収し、経営に着手して以降大きな転機を迎える。明治16年に本山坑を整備、明治18年(1885)に小滝坑、翌19年(1886)には通洞坑を開口し(完工は29年)、銅山経営の基礎が固められた。20世紀初頭には日本の銅産出量の4分の1を担うほどの大鉱山に成長した。一方、各工程での廃棄物及び製錬時の亜硫酸ガスにより環境への影響が深刻化していった。明治23年(1890)には渡良瀬川の大洪水により下流域の農作物に被害を与えたことが契機となって鉱害問題が顕在化し、明治29年(1896)には「鉱毒予防工事命令」が出され、浄水場等が建設された。昭和31年(1956)に自溶製錬法による製錬が開始されるが、昭和48年(1973)に閉山、輸入鉱石による製錬も昭和63年(1988)に事実上の操業を停止し、足尾銅山の銅生産の歴史は幕を閉じた。 足尾銅山跡は、近世・近代を通じて経営され、特に近代にあっては銅鉱山として国内最大の生産量を誇った鉱山であり、我が国の近代産業の発展及び鉱害とその対策についての歴史を知るうえで重要である。今回条件の整った基幹坑道である通洞坑と銅産出の拡大を支えた火薬類を貯蔵する施設である宇都野火薬庫跡を指定する。 |
- あしおどうざんあとのページへのリンク