あいと明治郎の失踪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)
桜が真っ盛りの5月3日、明治郎が姿をくらまし、二日後にあいも以下の詫び状を残して姿を消した。 これまでの御詫には是非尼になります、さうすれば髪も切ることゆえさうなれば髪も品物もお返し申します、それまでは髪と品物はお貸しくだされ、どうぞ初光を不憫とおぼしめていままでの罪はお許し下され候 — あいの詫び状、 あいは明治郎と駆け落ちしたのだと萬次郎は思いくまなく捜索、あいの母や妻吉の父忠蔵に対しても借金(芸妓の前借金)を帳消しにするからと協力するよう依頼するも誰も取り合わなかった。 萬次郎は南署にも捜索願を提出。届けを受け同署の青木巡査があいの実家を訪れ「あいの居所は西區三軒屋下の町百済橋南詰西入難波嶋八阪神社側久米重吉方」と書かれた手紙を発見する。早速久米宅を尋ねると家人は「小萬さん(あい)は先日まで家に居やはりましたが昨夜出た限りまだ帰りまへん」と答える。怪しいと踏んだ青木巡査は翌日再び久米宅を訪ねると、たまたま訪ねてきた車夫が青木巡査を久米家の人物だと間違え手紙を渡してしまう。手紙を透かしてみるとあいが明治郎に宛てた手紙で、「魚屋の魚福にて待つ」といった内容だった。魚福の主人は以前中川家の料理人を務めていた。 青木巡査は車夫に対して「うん俺が明治郎だ。貴様の車で乗って行かう」と明治郎に成り済まして手紙に書かれていた魚福方へ向かい同家を家宅捜索。しかしあいの姿はなく、家人は「夕方までここに居やはりましたが手紙を出せるとすぐ順慶町に行くというて出てやはりました」と供述。青木巡査は順慶町に赴くも同じくもぬけの殻で結局その後の手がかりはなく捜索は途絶えた。 あいには北久宝寺町に住む実母こま、妹すみ、弟安次郎の家族がいたが三人は毎月養育料をあいから貰い受けていた。あいの家出によりそれが途絶え、三人はいつしか山梅楼に居候するようになる。しかしこまは居候の分際で指図がましい奉公人のような振る舞いをしており家族から嫌われていた。 萬次郎は日がたつに連れ荒ぶるようになり、些細なことでもすぐに怒鳴りつけ女中からも恐れられるようになった。女将が居なくなった山梅楼は次第に客足が遠のいていき萬次郎も朝から酒浸りで寝そべっている毎日であった。 皆がグルになって2人を庇い自分をのけ者にしている。そのように邪推した彼は、一方的に殺意を溜め込んでいた。
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