『捕獲法論』第12章との比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 19:54 UTC 版)
「自由海論」の記事における「『捕獲法論』第12章との比較」の解説
すでに述べたように『自由海論』は『捕獲法論』の第12章として書かれたものであったが、完全に同一というわけではない。『捕獲法論』第12章では『捕獲法論』の他の章と関連して述べられていた部分が除かれ、分量としてはおよそ7分の5が『自由海論』としてまとめられた。まず『自由海論』では『捕獲法論』第12章のまえがきに相当する最初の1頁程度が削除され、それに代わり序文「キリスト教世界の諸君主と自由な諸国民に対して」が加えられている。また不当な通商の禁止が戦争の正当原因となることが述べられた『捕獲法論』第12章のおわり約18頁半程度が削除され、その一部が『自由海論』では全体の結論を述べた第13章として書きかえられているが、これは通商の自由を主題とした『自由海論』では不要であったためといわれる。これらの修正によって論旨は大きく変化している。また『自由海論』第1章の書き出し3行程度の文章と、『自由海論』第12章のおわりのところも『捕獲法論』の該当する個所をそのまま用いた文章ではなく、『捕獲法論』の他の個所にある記述をここに加えたり、『捕獲法論』にはあった記述を省いたりといった修正がみられる。これら以外にも、用語が訂正されたり文章が省略されたところが確認される。『捕獲法論』は前述のとおり1603年に東インド会社がポルトガルの商船カタリナ号を捕獲したことを弁護するために書かれたものであったが、その構成は大きく分けて3つにわけることができる。第1はグロティウスの法律思想や正当戦争、捕獲権行使に関する基礎理論であり、第2がオランダ人に対するポルトガル人の通商妨害やカタリナ号捕獲事件に関する歴史的事実、そして第3が第1の部分(基礎理論)を第2の部分(歴史的事実)に当てはめカタリナ号捕獲の正当性を論証し、問題の解決を図ったものである。『自由海論』のもととなった第12章はこのうちの捕獲の正当性を論証した第3の部分に当たるが、この第3の部分も3つに分けられる。第1は法律的見地からの論証(第12-13章)、第2は道徳的見地からみた論証(第14章)、そして第3が有利、有益という見地からみた論証(第15章)である。第12章は全体からみれば法律的見地からみた論証を行った個所の一部であり、具体的には私戦という観点からのみ論証した部分であった。つまり『捕獲法論』第12章はもともと、東インド会社が行った戦争が仮に私戦に当たるのだとしても、それは正当なものであった、ということを論じていたのである。このように『捕獲法論』第12章は全体的議論の中の一部を論じたものにしかすぎず、そのまま抜き出したとしてもまとまった著書とはなりえない。前述のような修正はそのような必要からなされたものといえる。
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