『バスク初文集』の出版
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「ベルナト・エチェパレ」の記事における「『バスク初文集』の出版」の解説
ボルドー高等法院の検察官だったベルナール・レヘテはバスク地方出身であり、エチェパレの庇護者を務めていた。エチェパレはレヘテに出版の支援を求め、序文ではレヘテに対する賛辞が捧げられている。当時のバスク地方には一定の規模を持つ印刷工房が存在しなかったため、エチェパレとレヘテはガスコーニュ地方北部の中心都市ボルドーの印刷工であるフランソワ・モルパンに刊行を依頼し、1545年に詩集『バスク初文集』(ラテン語 : Linguæ Vasconum Primitiæ, 直訳すると「バスク語の始まり」)を出版した。表題と印刷工向けの注意書きはラテン語で、テキストはバスク語のバス=ナヴァール方言で書かれている。フランス語の影響を受けた正書法・韻律・執筆方法は、エチェパレがベルチョラリ(バスクの即興詩歌人)だったことを示唆しているが、『-初文集』が執筆された時期は明らかにされていない。『-初文集』は全52ページ・全1162行の詩の収集物からなり、自然における宗教的な詩、恋愛の詩、牢獄経験などエチェパレの生涯についての詩、バスク語や他の事物の美徳を称賛する詩などが含まれる。それまでも、他言語の書籍の一部にバスク語の単語が登場したことはあったが、『-初文集』はバスク語で初めて(活版印刷で)出版された書籍であるとされる。なお、エチェパレの死没地や没年月日は記録に残っていない。
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