『バスク語・スペイン語・フランス語辞典』刊行
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1901年頃には『バスク語・スペイン語・フランス語辞典』が大方完成し、1902年にはビスカヤ県議会から出版への援助を受けられることとなった。当初は500部を印刷する予定だったが、バスク系人の多い南アメリカでの販売も視野に入れて1,500部に増やし、フランス・トゥールの印刷所で印刷された。バスク語の辞書としては1745年にマヌエル・ララメンディ(スペイン語版)が『カスティーリャ語・バスク語・ラテン語3言語辞典』を、1883年頃にはホセ・フランツィスコ・アイスキベル(バスク語版)が『バスク語からスペイン語への辞書』を刊行しており、アスクエの辞書はこれらに次ぐ3番目のバスク語辞書である。1904年にはビルバオを離れて5年間ヨーロッパを遊学し、フランスのトゥール、ベルギーのブリュッセル、ドイツのケルンなどで音楽研究を極めた。遊学中の1905年から1906年にはようやく『バスク語・スペイン語・フランス語辞典』が出版されている。 この辞典はバスク語の記録や保存を大きな目的としており、バスク語学習者向けの辞書ではない。語彙や用例の豊富さ、正確な語釈で評価が高く、1969年にビルバオの出版社が第2版を刊行している。1969年の第2版は計1,151ページ・全2巻の大作である。アスクエはバスク語の諸方言から語彙を収集しており、分量の面でも品質の面でもそれまでのバスク語辞書とは一線を画しているとされる。
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