「XO」と「Figure 8」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 15:47 UTC 版)
「エリオット・スミス」の記事における「「XO」と「Figure 8」」の解説
1998年、スミスはメジャーレーベルのDreamWorks Recordsに移籍する。インディーズからのステップアップを果たす一方で、当時の彼は深刻なうつ病を患っており、周囲に自殺願望を口にするようになっていた。実際に少なくとも一度、本気で自殺を試みている。ノースカロライナに滞在中のある日、酩酊状態になったスミスは崖から飛び降りた。彼は木の上に落下し、枝が彼の体を貫いたが、結果的にそれが自殺を阻止した形となった。後のインタビューでこの事件について聞かれた彼はこう答えた。 「そう、崖から飛び降りたのは本当だよ。だけど、その話題はやめようよ。」 Cavity Search Records幹部のクリストファー・クーパーは当時の様子をこう振り返っている。「彼がポートランドにいた頃、私は何度も彼に自殺を思いとどまらせた。彼は才能ある人間で生きる価値があるということ、そしてみんなが彼を愛しているということを繰り返し伝えたんだ。」 DreamWorksでの最初のアルバムとなる「XO」はロブ・シュナフとトム・ロスロックによってプロデュースされ、1998年にリリースされた。本作ではホーンセクション、チェンバリン、ストリングスなどを用いた多様なアレンジに挑戦する一方で、従来のコーラスを重ねたアコースティックな曲も収録されている。アカデミー賞ノミネートの前評判もあり、結果的にこのアルバムが彼のキャリアでもっとも売れた作品となった。 この時期のツアーでは、ポートランドを拠点に活動するバンド、クワージがサポートとオープニングアクトを担当した。元ヒートマイザーのサム・クームズと、スリーター・キニーでも活動していたジャネット・ワイスの元夫婦のデュオからなるクワージはスミスのキャリアを通じて最も関係の深いバンドであった。 5作目となる「Figure 8」は2000年にリリース。再び「XO」のチームが集結し、一部はロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングされた。ここでもスミスは一部の曲でのドラムとベース以外をすべて自分で演奏している。「Figure 8」では以前の作品に比べ、バンドサウンドが前面に押し出されている。とくに、主旋律だけではなく、コーラスワークや副旋律としての各楽器の様相がオーケストラ的であり、スミス自身もビートルズやドビュッシー作品を意識したと言及している。スミスが開いた新境地は、ベックやパール・ジャムをはじめとしたミュージシャンや評論家筋には絶賛された。セールス的には、DreamWorksによるプロモーションが不十分であった ため前作を下回った。 「Figure 8」のアルバムカバーやプロモーション写真からは以前より健康になった印象のスミスが見受けられ、アコースティックソロとバックバンドを従えた「Figure 8」ツアーも盛況であった。また、アルバムの宣伝の一環として、レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエンやレイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマンといった有名テレビ番組にも出演している。しかし、スタジオでの緻密な多重録音により完成されたアルバムの曲をライブで再現することの困難さ、特にバックバンドの大音量にかきけされてしまうスミスの声の細さは彼を悩ませることになる。自身の声質への自信喪失は、アルバムの出来自体への自問にも繋がり、ツアーの終わり頃からヘロインを常用するようになる。
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