「罪を犯すこと」は「存在すること」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 07:28 UTC 版)
「メアリ・デイリー」の記事における「「罪を犯すこと」は「存在すること」」の解説
デイリーはとりわけ、「to sin(罪を犯す)」という言葉の語源が「存在する(to be)」を意味するインド・ヨーロッパ語の"es-"であることを発見したとき、「全地球で支配的な宗教である家父長制の罠にはまった女性たちにとって、『罪を犯すこと』は『存在すること』なのだと直感的に理解した」という。すなわち、家父長制の宗教・社会で理想とされる(罠にはまった)女性とは逆の「罪深い女」という概念は、実は家父長制に対して反逆することで「存在する」女性であるとし、「(女性たちに)罪を犯すよう強く勧める。だが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、ないしはこれらから派生した世俗版のマルクス主義、毛沢東思想、フロイト派、ユング派などのちっぽけな宗教に対して罪を犯すのではない。これらはすべて家父長制という大宗教から派生したものだ。この下部構造自体に対して罪を犯しなさい」と、ユーモアを交えて訴えている。 この発想は、以下に示すように、厳しい批判を浴びた後もなお健在であり、2006年出版の著書を『アマゾン・グレイス ― 大罪を犯す勇気 (Courage to Sin Big) を呼び起こす』と題している。「アマゾン・グレイス」は「アメイジング・グレイス」とギリシア神話の女性狩猟部族で強い女性を意味する「アマゾーン」にかけた言葉であり、本書は「全世界の大胆で向こう見ずな女性たちに投げつける挑戦状と招待状」であるとし、スタントンと共にキリスト教会を批判した女性参政権運動家のマチルダ・ジョスリン・ゲージ(英語版)を登場させ、ゲージとの架空の対話を通じて宗教批判を展開している。
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