「罪の巨塊」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 05:24 UTC 版)
「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」の記事における「「罪の巨塊」について」の解説
裁判において『沖縄ノート』の中の記述「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」の「罪の巨塊」という表現が公正な論評の範囲か論点となった。 裁判を傍聴した秦郁夫は、大江がこの表現について"英語のミステリーから借用したが、語源は他殺死体のこと、ラテン語では・・・(聞き取れず)"と説明していたことを報告している。このことから、「罪の巨塊」とは英米法のcorpus delicti(罪体:日本語ではときに構成要件と訳されることもあるが、ここでは犯罪実体とでも訳すのが適当と思われる)の巨大な集合物といったくらいの意味で、大江は当時適当な訳語が見つからず、このような造語を使用したものと思われる。 語源が他殺死体から来たと大江が説明したところから「罪の巨塊」を無数の死者の塊りと捉えて大江に個人の名誉棄損の意図はなかったと第三者が説明することがあった。 一方、当裁判について保守論壇で言論を繰り広げていた曽野綾子は「巨塊」を「巨魁」(悪い仲間の首領の意)と読み換えて、大江は、赤松を「巨魁」として誹謗しているとマスメディア上で幾度も語り混乱を招いた。(とくに、曽野の著作では、当初は『沖縄ノート』の記述通り「罪の巨塊」となっていたものの、1984年以降の出版物では「罪の巨魂」となっており、これも曽野がどう考えていたのかについて、議論の混乱に拍車をかけた。)
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