「神々に愛されるもの」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:59 UTC 版)
「エウテュプロン」の記事における「「神々に愛されるもの」」の解説
7. ソクラテスは、話を戻して、先程の説明では自分の質問の答えになっていないと述べる。自分は具体例ではなく、全ての行為・事象に当てはまる「単一の相」としての敬虔・不敬虔の抽象的・普遍的・本質的な規定・定義を教えてほしいのだと述べる。それを受けてエウテュプロンは、「神々に愛でられるものが敬虔、愛でられないものが不敬虔」だと述べる。 8. 提示された定義の検討。ソクラテスは、先程、「神々が互いに意見を異にし、敵対し、内輪争いする」とエウテュプロンが述べたことを確認。その「意見の不一致」は、計算・測定・計量などでは決定・判定できない、「正・不正」「美・醜」「善・悪」などを巡って生じることを指摘。エウテュプロンも同意。ソクラテスは、そうなると神々の間で「正・不正」「美・醜」「善・悪」等を巡る考えは統一されておらず、同一のものがある神々には愛され、別の神々には憎まれもすることがある、したがって、同一のものが敬虔になることも不敬虔になることもあると指摘。エウテュプロンも認める。 9. ソクラテスは、先程の定義が破綻したことを指摘。エウテュプロンは、しかし少なくとも「不正に人を殺した者が罰を受ける」といった事柄に関しては、神々の間でも意見は一致するはずだと食い下がる。ソクラテスは、人間の間でも、それに異を唱える者はいない、そして、個々の行為を巡って、「自分こそは正しく、不正を犯していない」という点で争うのだと指摘。エウテュプロンも認める。 10. 更にソクラテスは、エウテュプロン自身の話を引き合いに出し、父親が「不正に」日雇い人を殺した明白な証拠、その父親を息子が告発・訴訟することが「正しい」という明白な証拠を、神々が一人残らず同意する形で示してほしいと追及。
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