「毒親」ブームの問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:40 UTC 版)
毒親論は、その単純明快さもあり、アダルトチルドレン論をしのぐほどのブームになった。斎藤学は、昨今の「毒親」ブームは、親を毒親とそれ以外に二元論で分けて糾弾し、過去と親にばかり注目し、一番大切な自分の現在と未来に目を向けない傾向などの問題があり、毒親本では「これからどうすればいいか」がおざなりにしか語られないと述べている。毒親論は、自分の問題を親子間だけの直接的な原因結果論に単純化し、「毒親の子どもだから自分はもうダメだ」と考える宿命論になってしまっていると批判している。アダルトチルドレンから派生した概念であり、分かりやすい言葉だが、それゆえにアダルトチルドレンよりさらに独り歩きしがちであるという。 柏木恭典は、「緊急下の女性(Frauen in Not)」支援と虐待・毒親の概念の問題について次のように述べている。ドイツ語圏では、望まない妊娠によって自身の妊娠に苦しみ、そのことを誰にも言えず、人工妊娠中絶もできず、出産前後期に緊急で特殊な支援を要する女性のことを、「緊急下の女性」と呼んでいるが、このように社会の周辺に孤立無援で、貧困などの絶望的な状態で存在する母親(ないしは妊婦)は妊娠中から問題を抱えており、出産後に追い詰められて赤ん坊を殺したり心中する事例が後を絶たない(虐待死の多くが生後間もない頃に起こっており、全体の約60%が3歳未満、その4分の3が実母によるものである)。毒親という俗的概念に表されるような一連の(新しい)虐待論及び親批判は、親について語ることのできる年齢の子どもの問題が主に扱われており、緊急下の女性と児童遺棄・嬰児殺しの問題も共に「虐待」として扱われることが多い。しかしこの2つの問題は、かなり異なる様相を持つ。柏木恭典は、こうした社会的・経済的問題でもあり、(子殺し等)児童の救済・保護に関する人類史的な問題でもあるものを、その女性だけの問題として切り詰め、支援の最初の段階で彼女たちを「虐待」「毒親」「犯罪の加害者」「悪者」という視点でとらえてしまうと、支援される側がその無意識の先入観を察知して接触を拒否するようになり、「届く支援」にはならないと指摘している。
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