「将、軍に在っては、君令も受けざる所有り」とは? わかりやすく解説

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「将、軍に在っては、君令も受けざる所有り」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:12 UTC 版)

司馬穰苴」の記事における「「将、軍に在っては、君令も受けざる所有り」」の解説

当時の斉は長い内乱果て景公即位し名臣名高い晏嬰がその補佐勤めていた。また陳からの亡命貴族である田氏勢力急激に膨張しており、それにたいする旧来の貴族からの嫉視警戒強まっていた。そのようななか、斉は晋と燕により攻められ領土奪われ景公はこれを何とかしたい思っていた。これに対して晏嬰推薦したのが司馬穰苴である。 晏嬰は「穰田氏妾腹出ですが、その文徳兵士引き付け、その武徳は敵を威圧します。君よ、司馬穰苴試してみてください。」といい、景公は、司馬穰苴兵法について語り、いよいよ司馬穰苴頼りなりそうであるとわかり、将軍任じようとした。しかし司馬穰苴は「私は、もともと低い地位にあり、将軍任じてくださっても下は私を侮りましょう。そこで、君の寵臣でその上輿望ある者を顧問としてお貸し下さいと言い景公はそれを許し荘賈をその任にあたらせた。 司馬穰苴荘賈は、「明日正午軍門にて」と約束してわかれた。しかし荘賈は「高貴で軍を統率するのもわしだ」と思い込み親戚高官送別の宴を設け翌日正午に姿を現さなかった。司馬穰苴は、荘賈が来ない間に、軍を整え軍規全軍示した。日も暮れてやっと荘賈が来た。司馬穰苴は、どうして遅れたのか理由聞いた。すると、荘賈は「親戚高官送別の宴を催してくれたため遅くなった」と言った。 これを聞いた司馬穰苴は「将軍は、一旦出撃命じられれば家族のことを忘れ軍中にあっては親戚忘れ戦場にあっては自らの安全を忘れる、と言われている。今、敵軍深々とわが国侵入し国内騒然とし、兵は身を風雨曝し戦い、君さえも心配のあまり食事も喉を通らず、夜も眠れないほどであるのに、送別の宴ごときで出陣に遅れるとは何事!!」と激怒し軍法沿って荘賈処刑しようとした恐れた荘賈景公使者出して許してもらおうとしたが、その使者帰ってくる前に司馬穰苴荘賈処刑した。このことで兵士引き締まり軍規厳粛に為ったその後景公からの使者帰ってきて荘賈を許すようにと言ったが、「将、軍に在っては、君令も受けざる所有り」(将軍軍中にいる時はたとえ主君命令であろうとも受けない事があると言う有名な言葉残し使者追い払った司馬穰苴は、軍中にあって、常に兵士行動し食事も同じものを食べ、弱い者にも優しく接したその結果司馬穰苴全軍信頼され病人までも出陣したいと願い出た。この一連のことを聞いた晋・燕の軍は撤退しはじめ、司馬穰苴はこれを追撃し失地をすべて回復した凱旋した司馬穰苴に対して景公司馬穰苴大司馬任命した

※この「「将、軍に在っては、君令も受けざる所有り」」の解説は、「司馬穰苴」の解説の一部です。
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