「将棋所」の実際
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 06:56 UTC 版)
長らく「将棋所」は江戸幕府から公式に認められた役職であると考えられてきたが、近年再発見され、1981年に大橋家の末裔から日本将棋連盟に寄贈された「大橋家文書」によると、将棋所は幕府との連絡役を務める将棋家の代表が独自に名乗っていた称号であったことが明らかになっている。 明和元年(1764年)に寺社奉行が大橋家当主の八代大橋宗桂に将棋所が正式な官職であるかどうか問うたところ、八代宗桂は自分たちで名乗っている称号であると答えたという(同席した碁家の井上因碩も、「碁所」について、同様の回答をした)。また、寛政9年(1797年)には将棋所が俸禄の支給の際に「将棋所」を名乗って扶持米を受け取ろうとしたものの、将棋所は正式な役職ではないとされ、寺社奉行から「将棋の者」と改めるように指示されている。
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