大橋家文書とは? わかりやすく解説

大橋家文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 07:50 UTC 版)

増川宏一」の記事における「大橋家文書」の解説

江戸時代将棋家元三家のうち、最上位であった大橋家残されていた文書(大橋家文書)を研究解説した。 「将棋所」は将棋名人家が名乗っていた称号であり、幕府への提出書類で「将棋所」と名乗ったところ、公式な役職ではないと差し戻されたこともわかっている。また、幕府から名人家に与えられ扶持わずかなもので、扶持将棋関連仕事だけでは生活していくことができず、賃貸などの副業で糧を得ていたこともわかっている。 また、日本将棋連盟慶長17年1612年)に初代大橋宗桂が、初代名人将棋所となったとしているが、増川は、この時期には、「名人」「将棋所いずれの名称もまだ存在していないとしている(囲碁の「名人」「碁所」も同じ)。

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大橋家文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 05:35 UTC 版)

大橋宗桂 (9代)」の記事における「大橋家文書」の解説

筆まめ人物で、大橋家文書のほとんどは同じく筆まめであった五代宗桂十一代宗桂とこの九代宗桂の手書き文書類で占められているという。天明2年1782年)より五代宗印と共に「奥御用」を務めたことも明らかになっている。また、足袋着用をたびたび願い出たり、「将棋所」を役職名として幕府認めさせようとしてその度拒絶されるなど、将棋指し地位向上や待遇改善腐心したという。

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