「ミッドウェイ」として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 05:04 UTC 版)
「セント・ロー (護衛空母)」の記事における「「ミッドウェイ」として」の解説
艦は当初、チャピン・ベイ (USS Chapin Bay、アラスカのチャピン湾に由来) として1943年1月23日にワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工するが、4月3日にミッドウェイ (USS Midway) と改名された。 8月17日にハワード・ニクソン・コールター夫人によって進水、1943年10月23日にフランシス・J・マッケンナ大佐の指揮のもと就役した。 「ミッドウェイ」は西海岸での整調後、真珠湾およびオーストラリアへ第65混成飛行団(VC-65)を乗艦させ補充の戦闘機輸送任務に赴く。6月1日にジェラルド・F・ボーガン少将率いる空母支援グループに加わりマリアナ諸島進攻に参加する。6月15日にはサイパン攻略に加わり航空支援を行う。この作戦行動の中で「ミッドウェイ」は数度の敵襲に遭遇したが、損害は受けずに済んだ。VC-65のFM-2ワイルドキャット戦闘機は航空偵察任務の間に日本軍機4機撃墜、1機破壊の報告を挙げた。 7月13日にエニウェトク環礁へ補給のため向かい、23日にテニアン攻略に参加する。「ミッドウェイ」は地上部隊のための航空支援と対潜水艦偵察巡航を継続し、7月28日に補給のため同水域を離脱した 。 「ミッドウェイ」はエニウェトク環礁に8月9日まで停泊し、その後アドミラルティ諸島のマヌス島、ゼーアドラー湾に向かい8月13日に到着する。 9月10日に「ミッドウェイ」は第77任務部隊に配属され、モロタイ島攻略に参加する。上陸部隊支援を9月15日に開始し、輸送部隊の援護を22日まで継続した。 燃料および弾薬の補給後、同型艦「ファンショー・ベイ 」と共に第77.1.2任務隊(または第77任務部隊第1群第2集団)の基幹としてパラオ諸島の航空作戦に従事する。10月3日、モロタイ島沖で日本軍の潜水艦からの攻撃を受けた。「呂41」が艦隊に向け4本の魚雷を発射し、「ミッドウェイ」はこれを回避したものの、一発の魚雷が護衛駆逐艦「シェルトン」の船尾に命中した。「シェルトン」は曳航されたものの、浸水がひどく途中で撃沈処分された。 10月7日、「ミッドウェイ」はゼーアドラー湾に帰還した。
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