「ビール」の語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:20 UTC 版)
江戸時代の大半の期間、西洋諸国のうちオランダ王国のみが日本と正式な国交を持っていた。日本の文献で「ビール」の語が確認できる最古のものは、オランダ語通詞(江戸幕府公式通訳官)を勤めた今村市兵衛と名村五兵衛が書き残した『和蘭問答』(1724年)である。オランダ商館長から献上された「麦酒」「ヒイル」を飲んだ旨が記されており、「殊の外悪しき」「何のあぢはひも無」と感想が述べられている。この後、蘭学者の大槻玄沢の著作『蘭説弁惑』(1788年)や、蘭学医の杉田玄白の著作『和蘭医学問答』(1795年)に「びいる」を紹介する文が確認できる。1798年に完成した森島中良によるオランダ語の語彙集『類聚紅毛語訳』では「オランダ語: bier」を「麦酒 ビール」と記している。 この他、ヘンドリック・ドゥーフが幕府の求めで編集をはじめた蘭日辞典『ドゥーフ・ハルマ』(1833年完成)や『和蘭字彙』(桂川甫周、1858年完成)には「ビール」の用例が多数掲載され、『ハルマ和解』では「麦酒」として記載されている。 以後、『西洋衣食住』(福沢諭吉、1867年)では「ビイール」表記であり、明治初期の新聞表記も「ビール」の表記が多かった。明治後期にビアホールが出現したことで、英語: beerから「ビーヤ」と呼ばれるも呼ばれる事例も見受けられるようになり、日本初の外来語辞典『舶来語便覧』(1912年刊)には、「ビール」「ビーア」「ビーヤ」が立項されている。最も一般的な呼称は「ビール」であったようで、それは今日まで続いている。
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