「ビースト」500Iエンジンの開発
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「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「「ビースト」500Iエンジンの開発」の解説
1993年4月、イリエン、モーガンとロジャー・ペンスキーは、1994年のインディ500に向けてプッシュロッドエンジンの開発を進めることに合意し、イルモアで開発が密かに始められた。技術規則の上でプッシュロッドエンジンの優位性を見つけることができたとしても、プッシュロッドエンジンはインディカーシリーズの他のレースでは使用できないエンジンであり、インディ500というただ1戦だけのために用意することになるため、常識的に考えれば、投入はコストの面から現実的ではなかった。それだけに、もしもイルモアがプッシュロッドエンジンの開発を行っていることが露見すれば、ライバルたちが使用の禁止を訴え始めることは明らかだったため、開発とテストは極秘裏に行われた。 1994年1月、イルモアはプッシュロッドエンジンを完成させた。開発に要したのはわずか10ヶ月だった。開発を始める以前、イリエンはロジャー・ペンスキーに対して、プッシュロッドエンジンであれば930馬力から940馬力は見込めると請け負っていた。1993年にペンスキーが使用していたイルモアのOHCエンジン(265C)の最大出力が780馬力であったから、イリエンの構想はそれを150馬力も上回るものだったが、実際に完成したプッシュロッドエンジンは事前の想定を大幅に上回り、1,024馬力もの驚異的な出力を達成していた。 このエンジンの開発は全てイルモアとペンスキーによって極秘裏に行われた。ほぼ完成という段階になって、資金提供を依頼するため、ロジャー・ペンスキーは翌年からパートナーとなる予定のメルセデス・ベンツ社にも参画を要請し、社長のヘルムート・ヴェルナーはこれを了承した。 こうして、レースの1ヵ月前の1994年4月、このプッシュロッドエンジンには「メルセデス・ベンツ・500I」という名前が付けられた。その驚異的な性能から、このエンジンはチーム・ペンスキーから「ビースト」(The Beast)のニックネームを与えられ、その後もしばしばこの名で呼ばれることとなる。
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