「ヌーベルキュイジーヌ」という言葉の歴史
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「ヌーベルキュイジーヌ」の記事における「「ヌーベルキュイジーヌ」という言葉の歴史」の解説
「ヌーベルキュイジーヌ」という言葉自体は、それまでもフランス料理の歴史のなかで何度か使われてきている。 1730年代と1740年代、数人のフランス人作家が伝統的な料理法に対して、彼らの料理法に「新しい」とか「モダンな」などと形容した。 ヴァンサン・ラ・シャペル(フランス語版)は、1733年から1735年にかけて、『現代料理』という本を出版している。また、メノンの最初の料理本である『新料理論』は、1739年に出版されている。さらに1742年に同書の3巻目のタイトルとして「ヌーベルキュイジーヌ」という言葉を導入している。 1880年代から1890年代にかけては、オーギュスト・エスコフィエの料理法が、最近ではアンドレ・ガイヨーの料理が「ヌーベルキュイジーヌ」だと言われることもあった 。 また、アンリ・ゴー、クリスティアン・ミヨらが、フェルナン・ポワンの弟子たちの料理を表現するのにこの語を利用した。すなわち、ポール・ボキューズ、アラン・シャペル、ピエールとジャンのトロワグロ兄弟、ミシェル・ゲラール(フランス語版)、ロジェ・ヴェルジェ(フランス語版)、レイモン・オリヴェール(フランス語版)などがそれに該当する。 ポール・ボキューズによれば、この言葉はアンリ・ゴーが、ポール・ボキューズの料理や超音速旅客機コンコルドの処女飛行時の料理のために集まったトップシェフ達の料理を表現するのに使い始めたとされる。 またゴーとミヨによれば、ヌーベルキュイジーヌは、オーギュスト・エスコフィエの「正統的」な料理に対する反動である。しかし、ヌーベルキュイジーヌは、ミシェル・ゲラールが始めた温泉料理である「薄口料理」(Cuisine minceur)とは異なる。そもそもヌーベルキュイジーヌが作られるきっかけとなったのは、第二次世界大戦の勃発が原因であり、ナチス・ドイツの占領による食料統制下で肉などの供給が不足に陥り、自然発生的に発達した料理法なのである。
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