「ほら吹き男爵物語」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 07:22 UTC 版)
「ミュンヒハウゼン男爵」の記事における「「ほら吹き男爵物語」」の解説
冒頭に記された出版の経緯によると、晩年のミュンヒハウゼン男爵は話好きで、館に客を集めては、フィクションを交えた自分の体験談を話して聞かせた。その話があまりにも面白いので、ある人物がこっそり彼の話を記録し、本人に無断で出版することにした。話を聞いたミュンヒハウゼンは怒って出版をやめさせようとしたが、本は結局売り出され、人気を呼んだ。ミュンヒハウゼン男爵は、憤慨のあまり死んでしまった。 ミュンヒハウゼン物語がはじめてまとまった形で出版されたのは1781年のベルリンでのことだが、著者は不明である。その後1785年に大幅加筆された英語版が出版され、著者は元ヘッセン方伯の司書ルドルフ・エーリヒ・ラスペである。Baron Munchhausen's Narrative of his Marvellous Travels and Campaigns in Russiaがその時の題名だが、The Surprising Adventures of Baron Munchausenとも呼ばれた。しかしながら、そのユーモラスな物語の中にはミュンヒハウゼン以外の出典から拝借したものも少なくない。実際、周囲からミュンヒハウゼン自身に対して遠慮深いという評価があったとはいえなかったこともあり、ラスペの出版はむしろミュンヒハウゼンの評判を落とす結果となった(もともとラスペには盗癖があり、ヘッセン方伯のコレクションに手をつけた容疑で英国へ国外逃亡中の身であり、晩年には宝石偽造にかかわってアイルランドへと再逃亡している)。 1786年、ゲッティンゲン大学の私講師ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(英語版)がラスペ版をドイツ語へと翻訳、さらに加筆してドイツに逆輸入した。Wunderbare Reisen zu Wasser und Lande: Feldzüge und lustige Abenteuer des Freiherrn von Münchhausenとして出版されたこのビュルガー版は、今日のドイツでももっとも知られている版のひとつである。なお、ビュルガーは共和思想の持ち主であり、ビュルガー版には政治的風刺が多く盛り込まれた。そのためか、ビュルガーは生前自分が著者であることを固く秘した。またミュンヒハウゼンやラスペ同様、ビュルガーもまた晩年は不遇であり、教授に昇進できぬまま貧乏講師で終わっている。 19世紀、ミュンヒハウゼン男爵の物語は数多くの作家たちによって加筆され、さまざまな言語に翻訳された。その結果として物語には100以上のバリエーションが存在する。ミュンヒハウゼンが軍人として活躍したロシアでも、ミュンヒハウゼン男爵の物語は古くから出版されており、とくに子供向けにリライトされたものは広く愛読されている。 ミュンヒハウゼン男爵の物語のうち、ミュンヒハウゼン自身が語ったものがどれくらいあるのかは明らかでない。ただし、エピソードの大多数はミュンヒハウゼンが生まれる前から数世紀にわたり流布してきた民話がもととなっていることが判明している。
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