横須賀海軍警備隊植木分遣隊
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 00:46 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動横須賀海軍警備隊植木分遣隊(よこすかかいぐんけいびたいうえきぶんけんたい)は、神奈川県鎌倉郡大船町植木(現・鎌倉市植木)に配備された大日本帝国海軍の施設で横須賀鎮守府の警備隊が管理した。この施設には太平洋戦争中に海軍が捕獲した捕虜が収容され、尋問が行われた。通称大船収容所(以下、この名称を用いる)とも呼ばれる。終戦直後の1945年8月21日に陸軍に移管され、東京捕虜収容所本所分遣所と改称された。同年9月1日閉鎖。
概要
大船収容所は龍寶寺門前にあった玉縄小学校の旧校舎を利用し、1942年4月6日に開設された。以降、海軍が捕獲した捕虜の一部はこの収容所に送られ軍事機密などについて尋問を受け、尋問終了後は各地にある陸軍の捕虜収容所に引き渡された[1]。
本来捕虜収容所であればその存在を国際赤十字に告知する義務があるが、大船収容所はそうした告知は行っていない。これはこの施設がハーグ陸戦条約などに規定される捕虜収容所ではなく、捕虜を一時的に拘留する仮の施設であり告知の必要がないとしたためである。しかし実際は正規の捕虜収容所では行えない尋問などを行うために設置された施設であった[2]。収容所長の戦後の証言では捕虜の滞在期間は平均2ヶ月程度であったが、1年を超えて収容されたケースもあった[1]。また、海軍東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊(現在の川崎市高津区に所在)で通信傍受の任務を与えられた捕虜もいた[1]。尋問所のため労働はなかったが、警備兵による暴行は日常的におこなわれていたとされ、職員による食料の横領もあった[3]
大船収容所には終戦までに500 - 1000人程度[4]が収容され、うち6名[5]が死亡した。死亡した捕虜は隣接する龍宝寺の墓地に埋葬されたが、戦後、連合軍墓地捜索班によって掘り起こされ[6]、故国に改葬された。龍宝寺には捕虜の卒塔婆がたてられており、毎年お盆に死亡した捕虜の法要を行っている[6]。
戦後、捕虜収容所は廃止され、建物も龍宝寺が経営する玉縄幼稚園の園舎として使われた[7]。しかし1969年の幼稚園移転に伴って取り壊され、跡地は住宅地となり当時の遺構はほぼ消滅した[7]。収容所監視塔の礎石が近隣の民家に残っている[8]。
戦犯裁判
戦後、30人の関係者が捕虜虐待などの戦争犯罪人(BC級戦犯)として起訴された。収容者の死亡者が6人と少ない(他の国内の収容所では100人以上の死亡者が発生した施設が複数ある)にもかかわらず、これだけの関係者が起訴された点について、笹本妙子は、収容者を正規の捕虜として扱わなかった特異な性質と関係しているのではないかと推測している[7]。判決では所長・軍医大佐・衛生曹長の3人に絞首刑が言い渡されたが、減刑されて終身刑2人、残りが懲役刑(刑期は最長で40年)となった[9]。
著名な収容者
- 当時著名な長距離ランナーでベルリンオリンピックにも出場した。近隣の小学校の運動会に参加し、近隣住民の恋路を助けるエピソード[10]が残っている。大船の後は、大森、次いで直江津の収容所に身柄を移された。1998年の長野オリンピックで聖火を持って走るために日本を再訪。かつて捕虜として収容された直江津の町を歓声と拍手に包まれて聖火を掲げて走った[11]。
- ラバウルなどで活躍した戦闘機パイロット。撃墜王として知られる。
- 潜水艦タング艦長。短期間大船に収容、後に大森へ移送。
脚注
- ^ a b c 笹本、2004年、p.194
- ^ 尋問を指揮した実松譲大佐の手記(「大船収容所始末記」『別冊週刊読売』1974年9月号)による(笹本、2004年、p.184に引用がある)。
- ^ 笹本、2004年、pp.191 - 192
- ^ 500人は各種GHQの資料から笹本妙子が推測した人数、1000人は尋問を指揮した実松大佐の証言。いずれも笹本、2004年、pp.185 - 186(実松の証言は前記『別冊週刊読売』の手記からの引用)。
- ^ アメリカ人5名、ノルウェー人1名の計6名(笹本、2004年、pp.195 - 196)。笹本が主催するPOW研究会ウェブサイトの“研究報告>死亡捕虜リスト>収容所別>海軍大船捕虜収容所”. POW研究会. 2014年2月7日閲覧。には8名が記載されているが、英国人2名は「海軍東京通信隊蟹ヶ谷分遣隊にて死亡」と注釈があり、『連合軍捕虜の墓碑銘』pp.198 - 199にも記載されている。
- ^ a b 笹本、2004年、pp.197 - 198
- ^ a b c 笹本、2004年、pp.200 - 201
- ^ ※POW研究会大船収容所見学会 [1]より
- ^ 笹本、2004年、p.199
- ^ 近隣住民から「運動会にガールフレンドをつれてくる。いいところをみせたいのでおにぎりをあげるからわざと負けてほしい」と八百長を持ちかけられ、応じた(笹本、2004年、p.193)。
- ^ 上越日豪協会
参考文献
- 『連合軍捕虜の墓碑銘』笹本妙子、草の根出版会、2004年。ISBN 4876482012。
- 日本経済新聞. (2007年8月11日)
- 平松晃一. “大船捕虜収容所について”. POW研究会. 2014年2月7日閲覧。
関連項目
- トレイシー (軍事施設) - アメリカ軍が、日本人捕虜からの情報収集を目的としてカリフォルニア州に設置した収容施設。
「Ōfuna (Prisoner of War Camp)」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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