"GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/11 10:11 UTC 版)
| 『"GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』 | |||||
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| 尾崎豊 の トリビュート・アルバム | |||||
| リリース | |||||
| ジャンル | |||||
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| レーベル | エスエムイーレコーズ | ||||
| プロデュース | 須藤晃 Tomi Yo | ||||
| チャート最高順位 | |||||
| ゴールドディスク | |||||
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| EANコード | |||||
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        JAN一覧
        
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| 尾崎豊関連のアルバム 年表 | |||||
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『"GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』(グリーン ア・トリビュート・トゥ・ユタカ・オザキ)は、日本のシンガーソングライターである尾崎豊のトリビュート・アルバム。
2004年3月24日に尾崎の十三回忌に合わせてエスエムイーレコーズからリリースされた。尾崎の楽曲をインディーズレーベルに所属する様々なアーティストがカバーしている。メジャーレーベルに所属するアーティストが参加した『"BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』が本作と同時にリリースされている。
本作にはインディーズレーベルを中心に活動しているアーティストの他に、元EXILE所属でボーカルを担当していた清木場俊介やタップダンサーである熊谷和徳、一般公募によって参加が決定した高田梢枝などが参加している。
本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位第7位を獲得、日本レコード協会の集計において売り上げ枚数が10万枚を超えたためゴールド認定を受けている。
楽曲
- 「禁猟区」 - DON'T TOUCH THIS
- 「FIRE」 
    - 本曲はCasualSnatch(カジュアルスナッチ)がカバーしている。須藤が設立したインディーズレーベルである「KARINTO PLANET」に当時唯一所属していたユニットである[5]。CasualSnatchは須藤の息子であるTomi Yoによるユニットであり、尾崎の息子であるHIRO OZAKIとTomi Yoが尾崎の5枚目のアルバム『誕生』(1990年)収録曲である「COOKIE」をカバーしているのを聴いた須藤は斬新さを感じ、「彼の歌を解放させたい」という気持ちが募り始めたことがトリビュート・アルバムの制作動機になったと述べている[5]。そのためトリビュート・アルバムの制作が決定した際に須藤は真っ先にHIRO OZAKIおよびTomi Yoに参加を打診、ボーカルを担当している白山恭子も積極的に依頼を受けたと須藤は述べている[5]。トリビュート・アルバム制作において尾崎の活動後期の作品を選択するアーティストが少ない中で、白山およびTomi Yoは『誕生』収録曲である「FIRE」をカバーしたいと強く懇願したと須藤は述べている[5]。Tomi Yoは尾崎にとって最後のコンサートツアーとなった「TOUR 1991 BIRTH」の横浜アリーナ公演を小学生の時に観覧しており、同ツアーの1曲目が「FIRE」であったことから「きっと鮮烈な印象があったのだろう」と須藤は述べている[5]。
 
- 「FREEZE MOON」 
    - 本曲はMAKOTOがカバーしている。須藤はタイ王国の首都であるバンコクにおいて初めてMAKOTOのライブを目撃しており、そのライブはMAKOTOが所属していたΛuciferの解散コンサートであった[6]。アジアで人気のあった同バンドのコンサートには1万人以上の聴衆が参加しており、打ち上げパーティーに招待されたことからMAKOTOと須藤は会話をすることになった[6]。MAKOTOは須藤に対して自身が関心を持っている音楽などの話題を一方的に語ることが多く、その中で「こんな曲が作りたいんですよ」と車中で聴かされたのが尾崎の3枚目のアルバム『壊れた扉から』(1985年)収録曲である「FREEZE MOON」であったと須藤は述べている[6]。本曲を歌えるアーティストは希少であると考えていた須藤はMAKOTOに本曲のカバーを依頼、須藤が「コンサートで一番盛り上がる曲なんだ」と告げたところMAKOTOは「ビデオを見て知ってます」と答えたという[6]。本曲はMAKOTOのコンサートツアーの合間にツアーバンドの演奏によってレコーディングが行われた[6]。
 
- 「ドーナツ・ショップ」 - DONUTS SHOP 
    - 本曲はカン・ダヒョンがカバーしている。カンは韓国の女性歌手で本作において唯一の外国人であり、本作以前に須藤がプロデュースした楽曲を歌っていた経緯があった[7]。カンは母国で民謡を習っており、カンの歌声を聴いた須藤は魅力を感じて共に仕事をするようになったと述べている[7]。赤坂のライブハウスでカンがマンスリーライブを行っていた際に須藤はベース担当で参加しており、「尾崎豊の歌を1曲やりたい」というカンの要望を受けて「I LOVE YOU」(1983年)をカバーしたと須藤は述べている[7]。「ドーナツ・ショップ」のオリジナル版にはアウトロ部分にモノローグ調の台詞が挿入されているが、本作のカバーでは該当部分を韓国語にするアイデアを須藤が提案しカンはすぐに了承したと須藤は述べている[7]。
 
- 「Scrambling Rock'n'Roll」 - SCAMBLING ROCK'N'ROLL
- 「群衆の中の猫」 - CAT IN THE CROWD
- 「シェリー」 - SHELLY 
    - 本曲はFASTSがカバーしている。FASTSは以前から須藤の事務所に出入りしていたバンドであり、自ら本作への参加を申し出たと須藤は述べている[10]。同バンドは須藤の事務所内にあるスタジオでハードコア系の音楽を制作しており、都内で月に2回程度のライブを行う活動に留まっていた[10]。同バンドはアメリカ合衆国のレコードレーベルにデモテープを送りアルバムを1枚のみ同レーベルからリリースしていたものの、日本ではメジャーレーベルに売り込みにくい音であったため活動の限界に来ていた[10]。須藤から本曲を依頼された同バンドのボーカルであるフーミンは「詩がいい」という発言を連発しており、ラオーとコージーによるリズム隊は最後まで細かい部分のかっこよさを追求していたと須藤は述べている[10]。須藤はこのカバーに関して「この曲を誰がやるかが僕のひとつの課題ではあったが、最も遠いところにいたバンドに決めた気がする」と述べている[10]。
 
- 「音のない部屋」 - QUIET ROOM 
    - 本曲はネルソン・グレートがカバーしている。ネルソン・グレートは熊本県出身のバンドであり、同地を中心に活動している男性一人女性二人のグループである[11]。同バンドは過去に「それでよかったのか?」というグループ名でメジャー・デビュー後に活動していた時期があり、その後地元に帰ってグループ名を変更して再出発を果たしたばかりであった[11]。須藤は同バンドのミニ・アルバム『イメージ』(2003年)を聴いてすぐに連絡を入れ、その後音楽関係者を通じて同バンドに本作への参加を打診したところ即答で承諾を得られたと須藤は述べている[11]。同バンドのコンサートツアーのタイミングに合わせ、東京で本曲のレコーディングが行われた[11]。須藤は尾崎の隠れた名曲と言われている本曲をリクエストし、レコーディングにも立ち会った上で同バンドの印象について「それぞれの役割を果たしつつも、妥協することを拒む」と述べている[11]。
 
- 「ふたつの心」 - TWO HEARTS
- 「失くした1/2」 - ALTERNATIVE
- 「米軍キャンプ」 - BASE CAMP 
    - 本曲は熊谷和徳がカバーしている。熊谷はタップダンサーであり、仙台市の高等学校を卒業後ニューヨークの大学に留学した[14]。ニューヨーク滞在中にタップダンスを学び、ネットサーフィンによって辿り着いた尾崎豊のホームページから須藤のホームページを探し当て、本作制作の5年前に須藤に電子メールで連絡を取っていた[14]。その後須藤は熊谷と交流を持つようになり、須藤は熊谷を「モンテ・クリスト伯」の芝居におけるパフォーマーとして推薦した他、「アレクサンドラ」というユニットを結成して共にCDをリリースしていた[14]。熊谷は尾崎の音楽に対する感情をタップダンスで表現したいと須藤に伝え、熊谷自身が本曲を選曲したと須藤は述べている[14]。
 
- 「卒業」 - GRADUATION 
    - 本曲は高田梢枝がカバーしている。本作の企画に当たってアマチュア・ミュージシャンの参加が不可欠であると考えていた須藤は、プロジェクトのスタッフと協議した結果一般公募をすることになり、1000名ほどの応募の中から高田を選択した[15]。須藤は友人から勧められてアマチュア・ミュージシャンが参加しているイベントライブを観覧し、高田が歌唱している場面を見て「飾らない歌だった。ギターもとてもうまいとはいえないが、声が透き通っていて説得力があった」という感想を持ったと述べている[15]。須藤はその場で高田を紹介してもらい、後日再会した際に本作への参加を打診することになった[15]。高田は音楽の専門学校に通いながら歌手を目指してたものの、その道を諦め故郷に帰り田植えなどに従事していたが、諦めきれずに再び上京したと述べていた[15]。多数のミュージシャンが自主製作盤を制作していた当時、高田はまだレコーディングの経験がなかったことから須藤は高田には「卒業」しかないと考え、出来上がったカバーを聴いた須藤は「あぜ道の脇をさらさらと流れている清水のように、透明で活きのいい歌ができた」と述べている[15]。
 
リリース、批評、チャート成績
| 専門評論家によるレビュー | |
|---|---|
| レビュー・スコア | |
| 出典 | 評価 | 
| CDジャーナル | 肯定的[16] | 
本作のリリースは2003年11月5日にソニー・ミュージックエンタテインメント公式サイトにて、2004年4月25日に尾崎が十三回忌を迎えることに合わせてリリースされることが告知され、さらにリリースに合わせて同年4月22日にトリビュートイベントが開催されることも告知された[17]。その後2004年3月24日にコピーコントロールを目的としたコピーコントロールCDであるレーベルゲートCD2にて、また初回限定版はデジパック仕様にてリリースされた。本作のリリースに合わせて入門編となるベスト・アルバム『13/71 - THE BEST SELECTION』が同年4月21日にリリースされた[18]。さらに同日には1988年9月12日に行われた東京ドーム公演の模様を収録しVHSにてリリースされたライブ・ビデオ『LIVE CORE』(1989年)がDVDにて再リリースされた[18]。
リリース当時には本作購入者に対して「購入者限定web特典」として、リリース日と同日から「I LOVE YOU」のミュージック・ビデオがフルコーラスで視聴できるサービスが展開された[19]。本作はレーベルゲートCD2が廃止されたことに伴い、2005年7月27日に通常のCDであるCD-DAとして再リリースされた。
音楽情報サイト『CDジャーナル』では本作が新人もしくは中堅に当たるアーティストが参加していることを紹介した上で、「“思い切り自分らしさをアピールすることが尾崎へのリスペクトになる”って感じのユニークなカヴァーが多く、微笑ましい気持ちになる」と肯定的に評価し、「ヘヴィなギターをフィーチャーした「シェリー」(FASTS)が印象的」であると記している[16]。
本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位第7位の登場週数9回となった[2]。タワーレコードの「アルバム総合」部門においては同年3月22日付けで渋谷において第22位となり、「ジャパニーズ ロック&ポップス アルバム」部門においては同日付けで第11位となった[16]。
収録曲
- CDブックレットに記載されたクレジットを参照[20]。
| # | タイトル | 作詞・作曲 | 編曲 | アーティスト | 時間 | 
|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 「禁猟区」(DON'T TOUCH THIS) | 尾崎豊 | 坂上庸介 | 坂上庸介 | |
| 2. | 「FIRE」 | 尾崎豊 | CasualSnatch | CasualSnatch | |
| 3. | 「FREEZE MOON」 | 尾崎豊 | 須藤晃 | MAKOTO | |
| 4. | 「ドーナツ・ショップ」(DONUTS SHOP) | 尾崎豊 | 須藤晃 | カン・ダヒョン | |
| 5. | 「Scrambling Rock'n'Roll」(SCAMBLING ROCK'N'ROLL) | 尾崎豊 | OUTLAW | OUTLAW | |
| 6. | 「群衆の中の猫」(CAT IN THE CROWD) | 尾崎豊 | Tomi Yo | レイラーニ | |
| 7. | 「シェリー」(SHELLY) | 尾崎豊 | FASTS | FASTS | |
| 8. | 「音のない部屋」(QUIET ROOM) | 尾崎豊 | ネルソン・グレート | ネルソン・グレート | |
| 9. | 「ふたつの心」(TWO HEARTS) | 尾崎豊 | 岩戸崇 | 清木場俊介 | |
| 10. | 「失くした1/2」(ALTERNATIVE) | 尾崎豊 | Young SS | Young SS | |
| 11. | 「米軍キャンプ」(BASE CAMP) | 尾崎豊 | MASA | 熊谷和徳 | |
| 12. | 「卒業」(GRADUATION) | 尾崎豊 | 須藤晃 | 高田梢枝 | |
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       合計時間:
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スタッフ・クレジット
- CDブックレットに記載されたクレジットを参照[21]。
参加ミュージシャン
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録音スタッフ
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制作スタッフ
- 須藤晃(カリントファクトリー) – プロデューサー
- Tomi Yo – コ・プロデューサー
- トム・コイン(スターリングサウンド、ニューヨーク) – マスタリング・エンジニア
- 田島照久 (Thesedays) – アート・ディレクション、写真撮影、デザイン
- 永田恵介(エスエムイーレコーズ) – メディア・プロデューサー
- 堀尾昌周(エスエムイーレコーズ) – A&R
- 斉藤剛 (SMD) – セールス・プロモーション
- 林慶太郎 (SMD) – セールス・プロモーション
- 瀬尾勝(エスエムイーレコーズ) – ゼネラルプロデューサー
- 佐藤康広(エスエムイーレコーズ) – エグゼクティブ・プロデューサー
チャート、認定
| チャート | 最高順位 | 登場週数 | 売上数 | 規格 | 出典 | 
|---|---|---|---|---|---|
| 日本(オリコン) | 7位 | 9回 | - | CCCD | [2] | 
| 国/地域 | 認定組織 | 日付 | 認定 | 売上数 | 出典 | 
|---|---|---|---|---|---|
| 日本 | 日本レコード協会 | 2004年4月 | ゴールド | 100,000+ | [3] | 
リリース日一覧
| No. | リリース日 | レーベル | 規格 | カタログ番号 | 備考 | 出典 | 
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2004年3月24日 | エスエムイーレコーズ | CCCD | SECL-68 | [16][22] | |
| 2 | 2005年7月27日 | CD | SECL-235 | [23][1] | 
脚注
- ^ a b “"GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2025年10月11日閲覧。
- ^ a b c “GREEN~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI|オムニバス”. オリコンニュース. オリコン. 2025年10月11日閲覧。
- ^ a b “ゴールドディスク認定 2004年4月”. 日本レコード協会公式サイト. 日本レコード協会. 2025年10月11日閲覧。
- ^ a b c d "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 2.
- ^ a b c d e "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 4.
- ^ a b c d e "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 6.
- ^ a b c d "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 8.
- ^ a b "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 10.
- ^ a b c "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 12.
- ^ a b c d e "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 14.
- ^ a b c d e "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 16.
- ^ a b c d "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 18.
- ^ a b c "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 20.
- ^ a b c d "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 22.
- ^ a b c d e "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 24.
- ^ a b c d “GREEN A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI [デジパック仕様] [CCCD] [廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2025年10月11日閲覧。
- ^ “●尾崎豊トリビュートアルバムリリース決定!イベントも実施決定!”. ソニー・ミュージックエンタテインメント公式サイト. ソニー・ミュージックエンタテインメント (2003年11月5日). 2025年10月11日閲覧。
- ^ a b “尾崎豊豪華トリビュート遂に登場!さらに関連作品も続々とリリース!”. HMV & BOOKS online. ローソンエンタテインメント (2004年3月22日). 2025年10月11日閲覧。
- ^ “尾崎豊、没後13回忌にトリビュートアルバム2枚同時リリース”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2004年3月16日). 2025年9月27日閲覧。
- ^ "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, p. 0.
- ^ "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004, pp. 2–24.
- ^ “GREEN ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI [レーベルゲートCD]/OUTLAW”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2025年10月11日閲覧。
- ^ “VA / “GREEN”A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI [再発]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2025年10月11日閲覧。
参考文献
- 『"GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』(CDブックレット)尾崎豊、エスエムイーレコーズ、2004年、0 - 24頁。SECL-68。
関連項目
外部リンク
「"GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI」の例文・使い方・用例・文例
- テストでAをとる
- オールA, 全優
- Apr.はAprilの略語です
- 彼女はいつも試験でAを取る
- その線は点Aでもう一本の線と交差している
- ABC航空をご利用いただきありがとうございます
- A級のミルク
- その辞書をとってくださいto Aの形をとって
- A型肝炎
- 直線ABに平行に線を引きなさい
- 寄贈者の名をABC順に表にした
- 「今学期の成績はどうだった」「かなりいい成績を取ったよ.Aが4つに,Bが2つ」
- Aマイナスの成績
- テープのA面を聞く
- 私の名のつづりはT, H, O, M, A, Sです
- 彼女はまたAから始めた
- ABCタクシーは2年前に開業した
- ビタミンA
- A(の業務)をBにアウトソーシングする
- 私はまず、この点をAmandaに確認します。
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