PlayStation (ゲーム機) PlayStation (ゲーム機)の概要

PlayStation (ゲーム機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 02:14 UTC 版)

PlayStation > 初代PlayStation
PlayStation
プレイステーション

メーカー ソニー・コンピュータエンタテインメント
種別 据置型ゲーム機
世代 第5世代
発売日 1994年12月3日
1995年9月1日
1995年9月29日
1995年11月15日
1997年2月
CPU R3000A 33.8688 MHz
対応メディア CD
対応ストレージ メモリーカード
PocketStation
コントローラ入力 プレイステーションコントローラ
アナログコントローラ
DUALSHOCK
DUALSHOCK 2
外部接続 シリアルポート
パラレルポート(SCPH-7500まで)
2G回線[注釈 1]
オンラインサービス iモード
売上台数 1,900万台[1]
3,967万台[2]
3,961万台[2]
1億240万台[3]
最高売上ソフト ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち /406万本[4]
グランツーリスモ /1,085万本[5]
互換ハードウェア PS one
次世代ハードウェア PlayStation 2
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概要

1990年代中期に「次世代機」と呼ばれた家庭用ゲーム機の一つ。開発を主導した久夛良木健の独特の技術論により、家庭で本格的なテクスチャ付き3Dグラフィックを実現した初めてのゲーム機である。

本機は既存のゲーム機同様に横置きを踏襲しているが、3Dグラフィックを実現するために、メディア媒体には当時としては大容量のCD-ROMを採用し、セーブデータの保存にメモリーカードを採用している。また、デザインにも拘り、ゲーム機本体に搭載されているトップローディングには円形型の蓋を採用している。特にコントローラーは従来の平面的なデザインではなく、立体的なデザインを採用したことで直観的に使える操作性を実現している。

CD-ROMの採用により、大量生産とコストダウン、ソフトの低価格化を実現し、販売面においては、丸山茂雄らによる従来のゲーム機ビジネスとは異なるレコードビジネス仕込みの販売戦略を採ったことで、流通面でも優位に立てた。

さらに、これまでのゲームCMとは異なるユニークで斬新な演出のテレビCMに加えて、自社発売ソフトの多くが大ヒットしたことにより、新規ユーザーやライトユーザーの取り込みに成功しただけでなく、ファイナルファンタジーVIIドラゴンクエストVIIといったサードパーティのキラータイトルの登場も追い風となり、セガ・エンタープライゼス(現・セガ)のセガサターン任天堂NINTENDO64と共に次世代機戦争と呼ばれた[6]市場競争に勝利し、ファミリーコンピュータのヒット以来任天堂が独占していた市場でトップシェアとなった。

同社の次世代機である『PlayStation 2』が2000年3月4日に発売されたが、以降も本機は『PS one』として発売され2006年まで生産された。

歴史

開発の経緯

任天堂スーパーファミコンPCM音源を提供する事業の仕掛け人だった久夛良木が、同事業に引き続き、スーパーファミコンのCD-ROMドライブを拡張する共同開発事業の約束を任天堂と取り付けたのに端を発する。

任天堂との共同開発

久夛良木は1987年6月16日から2泊3日にわたるソニーと任天堂の合同合宿に、スーパーファミコン開発が一段落した1989年頃にも提案している。当時の任天堂はCD-ROMに消極的で「ソニーさんでやってください」と返答している。丸山によれば久夛良木は京都の任天堂本社に通っている間中「CD-ROMでやるべきだ」と粘り強く進言し続けた結果、任天堂は「どうにもならないと思うが、CD-ROMをやっていい」とOKを出した[7][注釈 4]

1989年4月にテレビゲームではなく液晶画面を持ったカセット式のハンディーゲームマシン「ゲームボーイ」が発売され大ヒットしていたが、ファミコンの人気は既にピークを過ぎかけている事が前年の実績から明らかになっていた。後にも、ソフトメーカーのスタンスは変わらず問屋の倉庫は売れないソフトが大量に溢れることになった。そして任天堂はファミコンの後継機(スーパーファミコン)の市場投入を決意した事で、そこからソニーとの関係が始まった[9]

当時の久夛良木は業務用のデジタルビデオエフェクタ「システムG」をゲームに転用してビジネス化出来ないかと考えていた[10]。ただし、当時ソニー内ではソニーのイメージを損なうとしてゲーム事業への進出に反対する社員が多く、久夛良木自身も「異端児」と呼ばれており逆風が強かった。この事業にゴーサインを出したのが当時社長の大賀典雄である。

1989年10月から共同開発が始まり、翌1990年1月1日には大賀典雄(ソニー)と山内溥(任天堂)の間で両社の締結を確認する合意文書が作られた。プレイステーションはこのプロジェクトでソニーが全世界的に商標権を登録した商品名[11][12][13]であった。プレイステーションという名称は久夛良木が名付けた[14]

計画では、CD-ROMアダプタは玩具流通で任天堂が発売し、CD-ROM一体型のスーパーファミコン互換機は家電流通を使ってソニーが発売することとなっていた。参考にされたのはファミコンに磁気ディスクドライブを拡張するファミリーコンピュータ ディスクシステムである。ディスクシステムにおいてファミコンに接続する周辺機器は任天堂が発売し、一体型マシンツインファミコンシャープを発売したパターンがCD-ROMにおいても踏襲されることになった[15]。そしてソニーはプレイステーションを49,800円の価格で1991年秋から発売を予定し[16]、初年度目標を300万台としていた[17]。久夛良木の構想ではこのプレイステーションは任天堂のゲームを中心とした当初はゲーム機として普及させ、やがてCDプレーヤーレーザーディスクプレーヤーなどと融合し、将来的には出版や教育も取り込むという家庭用コンピュータのインフラを狙っていた[18]

任天堂の共同開発の破棄

プレイステーション(試作機)
スーパーディスクのロゴ

こうして1991年6月1日のシカゴでコンシューマー・エレクトロニクス・ショーにおいて、ソニーがプレイステーション試作機を発表したが、一方で任天堂はソニーとの共同開発計画ではなく、フィリップスとの提携と、CD-iでのゲーム開発を発表した[19]。久夛良木は5月29日の時点で任天堂とフィリップスが共同開発する件を把握しており、出井伸之とともに任天堂本社を訪ねて問いただすと、任天堂の言い分は「ソニーとの契約は履行する」[20][21]、「契約は生きており、ソニーがスーパーファミコンと互換性のあるCD-ROMマシンを発売するのは構わないが、任天堂がスーパーファミコンに採用するCD-ROMアダプタはソニーとは別の規格を採用する[22]というものだった。肝心の任天堂からCD-ROMゲームが供給されないのなら、プレイステーションはスーパーファミコンより2万円以上高価なスーパーファミコン互換機でしかなかった[23]。そのためその後も交渉が続けられたものの任天堂の決定は覆らなかった。

任天堂がフィリップスと共同開発することにした理由として、当時の関係者はCD-ROMやゲームソフトのライセンスにあったとしている。

  1. スーパーファミコンCD-ROMソフトはスーパーディスクと名付けられ、任天堂ではなくソニーがライセンスを有することになっていた。当時のコンシューマー機のソフトはROMカセットが主流であり、CD-ROMは付属的な立場のメディアとして認識されていたため、任天堂はCD-ROMの権利を重視していなかった。しかし、任天堂米国法人社長だった荒川實がアメリカのコンピューター業界でのCD-ROMの躍進ぶりを目の当たりにしており、この契約のままだと任天堂がソニーの従属的立場になると危機感を抱き、山内溥にソニーとの提携を止めるように口説いたとされている[22][注釈 5]。丸山も同様の発言をしている[7]
  2. また、当初ソニー側はハード開発のみを行うはずだった。しかし、ソニーが自前のソフトで試供品を実演していた。それを知った山内溥社長(当時)は激怒していたという[25]

ファミコンスペースワールド92の会場でスーパーファミコンCD-ROMアダプタは発売延期が決まると同時に32ビットCPUを搭載する仕様変更が発表された[26]がソニーだけの規格では市場が広がらないと判断されたことから、スーパーファミコン互換機は開発を中断することになり、既にゲームソフトの製作を進めていたソニー・ミュージックエンタテインメントは、マーク・フリントによる『フォルテッツァ』[6](5億円を投じていた)、『沈黙の艦隊』『フック』などを没企画にし、15億円の損失を出したとされる[27]

これらの騒動により、久夛良木ら開発陣は社内での居場所を無くすが、大賀典雄の判断により、丸山茂雄率いるソニー・ミュージックエンタテインメント(現・ソニー・ミュージックレーベルズ[注釈 6])のゲーム部門に一時的に避難させられることになった。

ソニー単独でのプロジェクト再始動

1992年6月24日のソニーの経営会議で、ゲーム事業への進出の是非が議論になり、大半の役員が反対意見を投じる中、経緯説明のために会議に参加した久夛良木が、「我々は本当にこのまま引き下がっていいんですか。ソニーは一生、笑いものですよ」と食ってかかり[22]、試作品はほぼ出来上がっている事を公表。最終的に大賀が久夛良木に「そんなに言うならやってみろ!」と叫び、「DO IT!」[注釈 7]と声を張り上げながら机を叩いた事で[29]ゴーサインを出し、ゲーム事業への進出を決断した。

なお、大賀はプレイステーション製作にあたり、社内のコンセンサス形成のみならず、ゲーム機製作自体にも深く関わっており、業界標準とも言える任天堂型のコントローラからの脱却を図るグリップ型のコントローラーを作るように指示し、何度もダメ出しをしている[22](本体・コントローラーのデザインは後藤禎祐が担当)。後藤禎祐がデザインの依頼を受けた時期は、細かな仕様だけでなく基板の大きさも決まっていなかった。本体を真上から見ると、四角に丸がついたシンプルな構成である。後藤氏は"熊さんの顔"と言って笑うが、このわかりやすさもソニーらしさの重要なファクターとなる。「ソニーらしさは、無駄な造形に入り込んでいかない。それは飽きてしまう原因になったりするので長続きしないんです。シンプルな形、クリーンなイメージ。そういう媚びないデザインだと思う。中身の機能を素直に表していけば、必ずシンプルで飽きのこないいいモノができるだろうと、僕は昔からそういうデザインポリシーでやってきました。」と述べている。[30]

また盛田昭夫もゲーム事業のプレゼンを聞いた後、久夛良木の手を握って「これはおもしろい。こういうビジネスを望んでいたんだ」とチームを激励したという。ただ後述の通り、盛田は「プレイステーション」という名前を再検討するよう指示した(その後盛田は病に倒れた。内海州史は、あのまま盛田が健在であれば「プレイステーション」の名称は変わっていたかもしれないと記している[31])。

1992年夏から正式に「PS-X」プロジェクトが立ち上がり[32]、1993年11月16日にソニーの技術者と株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントのコンピュータゲーム製作部門のスタッフら65人で構成される株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントが設立。1994年5月10日に多くのゲーム雑誌関係者が見守る中、進捗報告会が行われた[33]。「PS-X」と呼ばれていたマシンの正式名称を「プレイステーション」と発表した[34]。同時にコンピュータグラフィックで描かれたデモ映像を会場で流し、本体のモックアップを展示した。グレイの本体はノートパソコンくらいの大きさ、パッドは流線形のデザインで、背面にはLRボタンのような4つのボタン、本体のパッド接続部分の上にメモリーカードスロットが設置されていた[33]。本来、プレイステーションはスーパーファミコン互換のCD-ROMゲーム機で使われる予定だった名称であり、これを流用したものである。頓挫した商品と同一名は縁起が悪いという意見もあったが、既に全世界ベースで商標権を登録しており、新しい商標にするには調べるだけで半年かかるため、そのまま同一のプレイステーションの名称が採用された[11]。1994年11月にプレイステーションの価格を39,800円、発売日は1994年12月3日と発表した。

名称の由来と略称

久夛良木は仕事で使うコンピュータを「ワークステーション」と呼ぶことに対して、遊びで使うコンピュータという意味で「プレイステーション」に決めた。ユーザー間では「プレステ」と略されることが多いが、CMや自社製品内での記載では一貫して「PS(ピーエス)」と略されている[注釈 8]。「週刊ファミ通」の記事によると、盛田昭夫がプレステの「ステ」が「捨て」に通じることから避けさせたという[35]。「プレステと呼ぶなー」という新聞広告を出したこともある。

ナムコとの関係

ソニーがプレイステーションを開発していた時にナムコも同じように次世代ゲームマシンの開発を行っていた。ナムコのゲーム機開発は1980年代の終わりから始まっており、ナムコの研究開発部隊を率いていた石村繁一が開発の中心にいた。アーケードにおいては、最先端の3D技術分野でもあったが、家庭用ビジネスにおいては、ファミコンやスーパーファミコン参入当初の絶対的な優位性を失いつつあった。そんな当時のナムコにとって、独自のアーケードのヒット作を家庭に持ち込むことは悲願だった。1993年、ナムコの幹部数人はソニー本社に招かれプレイステーションの原型たるマシンスペックを見て驚きナムコの技術者は家庭用ゲーム機の開発を中止した。そして、ソニーが開発するハードに全面的に協力する意向を固めた[36]。ナムコとソニーはその後プレイステーション互換のアーケードゲーム基板であるZN-1/ZN-2を共同開発している。

中村和幸も「ほかとは違うものを造りたがる人間は多いのは確か」と言うように、ナムコはもとより、音楽面、デザイン面で他社より自由な発想で抜き出ている作品が多い。数々のミュージシャン、アーティストなどナムコで働いていたエピソードを持っている[37]

累計出荷台数

  • 1995年
    • 5月第4週 - 日本100万台[38](同年内に200万台達成)[注釈 9]
  • 1996年
    • 6月4日 - 世界500万台[39]
    • 8月31日 - 世界720万台(日本350万台、北米210万台、欧州160万台)[40]
    • 10月31日 - 世界900万台(日本400万台、北米280万台、欧州220万台)[41]
    • 11月30日 - 世界1,000万台(日本420万台、北米345万台、欧州235万台)[42]
  • 1997年
    • 1月8日 - 日本500万台[43]/世界1,100万台(サターン:日本440万台/世界720万台、N64:日本185万台/世界400万台)[44]
    • 2月14日 - 世界1,200万台(日本560万台、北米380万台、欧州260万台)[45]
    • 3月19日 - 世界1,300万台[46]
    • 3月31日 - 世界1,350万台[47]
    • 5月31日 - 世界1,600万台(日本750万台、北米480万台、欧州370万台)[48]
    • 8月26日 - 世界2,000万台(日本850万台、北米640万台、欧州510万台)[49]
    • 12月31日 - 日本1,000万台[50]
  • 1998年
    • 2月5日 - 世界3,000万台(日本1,065万台、北米1,075万台、欧州860万台)[51]
    • 3月31日 - 世界3,282万台[52]
    • 6月30日 - 世界3,732万台[53]
    • 8月21日 - 世界4,000万台(日本1,300万台、北米1,430万台、欧州1,270万台)[54]
    • 12月21日 - 世界5,000万台(日本1,425万台、北米1,935万台、欧州1,640万台)[55]
  • 1999年12月2日 - 世界7,000万台(日本1,677万台、北米2,594万台、欧州2,733万台)[56]
  • 2004年5月18日 - 世界1億台(日本とアジア2,072万台、北米3,967万台、欧州3,961万台)[57]

注釈

  1. ^ 周辺機器による。
  2. ^ 後継機に対するレトロニムとして。
  3. ^ 2016年に社名をソニー・インタラクティブエンタテインメント(略: SIE)に変更。
  4. ^ 「PCエンジンの成功を見たソニーは、ロムカセットの代わりにCD-ROMを用いたゲームを採用するように任天堂に提案」したという説もある[8]
  5. ^ この様な経緯がある為、フィリップスによるスーパーファミコンCD-ROMは任天堂がライセンスを持ち、同社のソフト管理システムを維持する契約内容であった[24]
  6. ^ 2014年4月1日よりSMEJは中間持株会社になったため、本来の事業はSMLへ移管されることとなった。
  7. ^ 一方で丸山は大賀が「そのように言ったらしい」と前置きしつつ、久夛良木にやらせてあげたらどうかと大賀に進言したところ、大賀は久夛良木を「君に預ける」と答えた[28]
  8. ^ ただし、一部のテレビCMなどでは「プレステ」という表現が使用されている。
  9. ^ 100万台達成はライバルのセガサターンが先だった。
  10. ^ 厳密には、光を透かすと濃い青色に見える。
  11. ^ 実際はブロック内の実データは消去されず、削除処理にしたブロックを未使用領域として管理用ブロックに認識させた上で、該当ブロックをロード不可・上書き可能の状態にすることで、他のセーブデータの書き込みができるようにしている。参照:データの完全消去
  12. ^ 管理ブロック内のセーブデータ2ブロック目の参照設定がゲームBと設定されることで、そのゲームで遊ぶ際にセーブデータ2ブロック目のタイトルをゲームBとして読み込む。仮に管理データがセーブ中のリセット等によって参照設定がゲームAになった場合、セーブデータ2ブロック目がゲームBのままでもゲームAとして読み込む。
  13. ^ テクスチャ・半透明処理・シェーディングを施した時の実測値。
  14. ^ スプライトサイズ8×8ドットの場合。
  15. ^ RAM容量の関係からこの解像度のグラフィックをリアルタイムで動かす事は難しく、主に「一枚絵」と呼ばれる画像の表示に用いられた。
  16. ^ チップ内部で持っているアスペクト比は横解像度が256, 320, 384, 512, 640ドット、縦解像度はノンインターレスの240ドットもしくはインターレスの480ドット。
  17. ^ スーパーファミコンの「SPC700」はソニーが開発していた。
  18. ^ 「ライセンシー」。サードパーティーやゲーム開発会社などが該当。対義語にはライセンスを許諾したメーカーを指す「ライセンサー」があり、ソニー・コンピュータエンタテインメントのことを指す。
  19. ^ 前述の通り開発機器には1台ごとに番号が振られており、背面シールに型番と製造時期、通し番号が記載されていることから、ある程度推測は可能。シールにSCPH-xxxxと記載されていたり、製造時期やシリアルが記載されていなかったりするものは確実に偽物。
  20. ^ 初心会は後に別名で復活するが、その影響力は皆無に近くなった。
  21. ^ このフレーズに関して、丸山は消費者向けというより社内向け[118]、久夛良木は協力メーカーへのエール[119]と語る。
  22. ^ LSIの集積化に関してはLSI Logicとパートナーを組んだ[127]
  23. ^ 複数の半導体を一枚のシリコンにまとめる
  24. ^ LSI面積を縮小し、一枚のシリコンウェハーからより多くのLSIを生産する
  25. ^ セガサターンはCPUを始めとして複数社からの半導体の採用による影響でコストカットやワンチップ化がしにくい複雑なハード構成に加え外注による生産であったこともあり、大幅なコストダウンが効かず、ソニーなどの競合機による価格競争に対抗して値下げを続けた結果、多額の赤字を計上することとなりセガは体力を消耗していった。[128]
  26. ^ 1986年時点で米Sun Microsystems社のワークステーションが1000万円以上、ソニーのワークステーション「NEWS」の最上位機種は低価格で市場に衝撃を与えたがそれでも275万円であった[145]
  27. ^ 2001年4月からはPlayStation 2向けの会員サービスへと移行している。
  28. ^ 後にWindows版も発売。

出典

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