PlayStation (ゲーム機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 02:14 UTC 版)
ハードウェア
本体部
本機はCGワークステーションの仕様を縮小したような設計になっており、3Dゲームで最高の性能が発揮されるように作られた。当時は2Dゲームが数多く発売されていた時代であり、大多数のゲームメーカーが3Dの採用を時期尚早と捉え、2D描画性能を重視する中、3D専用設計のゲーム機を開発すること自体がリスキーな挑戦であったが、実際にプレイステーションが市場に投入されると、美麗かつ高速に動作する3Dグラフィックスは各界に大きな衝撃を与えることになった。特に、ローンチタイトルの『リッジレーサー』はプレイステーションの性能を知らしめる上で、良いベンチマークソフトとして機能した。当時のゲームクリエイターは3Dという新たな表現手法を使って実験的な作品を世に送り出し、ゲームの幅を大きく広げて行った。
メインCPUにはR3000に3DCGで必須となる行列演算を支えるベクトル演算ユニット(GTE)を搭載させたカスタマイズ版を採用。非常に高価なグラフィックスワークステーションでのみ実現できた[58]ポリゴンによる3次元コンピュータグラフィックスを比較的簡単にプログラミングできる。
- ロゴマーク
- PSのロゴマークは、当時ソニーのクリエイティブセンターに所属していた坂本学によるものである[59]。当初は4色で構成されていたロゴだったが、ゲーム用ディスクをシルク印刷する過程下ですでにモノトーン版のロゴも作られていた。
- 電源・リセット・オープンボタン
- 電源ボタンは「POWER」・リセットボタンは「RESET」・オープンボタンは「OPEN」の文字が付いたボタンである。海外モデルは電源ボタンとオープンボタンが文字ではなくアイコンになっている。
- 3Dに特化したハード
- ハードウェアの性能としては3Dポリゴン描画に特化したアーキテクチャが最大の特徴である。座標変換専用チップの搭載で1秒間あたり、150万ポリゴンの演算が可能。ポリゴンの頂点演算や座標変換を行うジオメトリエンジンを搭載し、さらにフレームバッファにポリゴンやテクスチャマップドポリゴンを転送する機能をハードウェアで備えるため、これらの演算を全てソフトウェア処理させる(CPUに膨大な量の演算を強いる)ことが多かった当時のパソコンや他のゲーム機と比較して高い性能を引き出せた。しかし、プロセッサに集積できるトランジスタ数の制約から、空間座標は固定小数点数で扱うこととなったため、ポリゴンやテクスチャにカクカクとした歪みが出る問題があった。
- 一方、旧来のゲーム機では常識であったラインバッファ方式のスプライトやBG機能は搭載しておらず、2Dの表現は苦手である。例えば、2Dゲームでは当たり前に用いられているラスタースクロール特有の画像変形を行うことが難しい。
- 動画の再生
- JPEGデコーダのMDECを内蔵しており、この機能を活用して当時の水準としては高画質なMotion JPEGによる動画(ムービー)の再生を可能にした[60]。『ファイナルファンタジーVII』をはじめとするこの機能を活用したコンテンツの登場により、プリレンダリングされた3DCGムービーとネイティブの3Dゲーム操作シーンを連結して多用することで、場面と時間を繋ぎ、物語性を補完する表現手法が確立された。またゲーム導入時のデモムービーやエンディングムービーなど、ゲームをプレイするための動機付けとしても広く活用されるようになった。
- サウンド能力
- PCM音源は24チャンネルのサウンド能力を持っている。チャンネルとは同時に鳴らせる音の数で[61]、この音源の量子化ビット数は16ビット、サンプリング周波数は44.1キロヘルツであり、この数値によってコンパクトディスクと同等の音が再生可能である。他にも音を変化させられるデジタルエフェクト機能を持つ。高度なサウンド能力は、パラッパラッパーを筆頭とする音楽ゲームの登場にも大きく寄与しているが、PS1以外でPS1用の音楽ゲームを動作させると致命的な不具合が生じる傾向にある。スーパーウーファー、サブウーファーなど別売のスピーカーをゲーム環境に加えたセットアップによってアーケードを超えた音と呼ばれる程、クリアで乾いたサウンドクオリティが引き出せるようになった[62]。
周辺部
CD-ROM
- 大容量、低価格、量産時間の短縮
- ソフトウェア媒体として採用したCD-ROMは従来のROMカートリッジと比較してデータへのアクセス速度が劣るが(ローディング時間が生ずる)、大容量、低価格、量産時間の短縮といった利点があり、コンピュータゲームの表現方法から流通にまで幅広く影響を与えた[63]。
- 当時のCD-ROM機は大容量メディアという反面、それゆえにローディングに非常に時間がかかるのが難点とされていたが、PlayStationはローディング時に読み込むデータは3D映像自体ではなくデータコードであり、それを本体内で処理・展開させて3D映像を作り出すという構造にすることで、当時としては高速なローディングを実現していた。ディスクの印刷方式はシルク印刷とオフセット印刷が混在している。
- 黒い記録面
- PS規格のCD-ROMは一般的な音楽CDやCD-ROMメディアとは異なり、記録面の樹脂が黒く着色されていることが特徴である[注釈 10]。この黒い樹脂の光学的な特性自体は通常の音楽CDやCD-ROMメディアと同じものであり、例えばBGMをCD音源として収録しているタイトルのディスクならば、楽曲収録トラックを通常のCDプレーヤーでも再生することが可能である。
- 開発時には通常のCD-ROMのままでCDマット(キャディ)を付ける事が検討されていたが、久夛良木氏のコストカット路線により、CDマットをやめ、記録面の色を変えるという方向に落ち付いた[64]。記録面を黒いものとする導入当初の目的は、正規流通商品と海賊版や偽造品を容易に見分けられるようにするためとされていた。
- ただし、この記録面の着色については、後継機であるPS2ではPS2規格のCD-ROMの記録面が青く着色されているのみで、CD・DVDなどの各種ディスクメディアでの汎用的な規格としての採用実績はなく、事実上PS規格CD-ROM特有の仕様となっている。
- 海賊版対策
- 非正規ソフトの対応については、CD-ROMのコピープロテクトを解除するための「MODチップ」と呼ばれるICチップが世界規模で出回り、それに対してソニー・コンピュータエンタテインメントは「レッドハンドプロテクト」で対抗した。世界有数のCD生産企業でもあり、短時間に大量の生産を行っても割高にはならず、CD-ROMにプロテクトをかけるために委託生産を行っていた[65]。
メモリーカード
ROMメディアがディスクになったため、ゲームのセーブデータは外部記憶装置であるメモリーカード(容量128KB。表記は1Mbit)を使用する。コントローラー接続部の上部に差込口があり、そこに差し込むことで使用する。PS規格ソフトを挿入せずにPSを起動した場合、メモリーカードの管理画面に移行し、移動・コピーや削除[注釈 11]が行える。各国発売版ではリージョンフリーとなった。データアクセスはコントローラポートを経由した同期型シリアル通信でセクタ(128バイト)単位で行う。読み取り速度は10KB/秒で書き込みはそれよりも遅い。
セーブデータのサイズを「ブロック」(8KB分)という単位で管理しており、メモリーカード1枚につき15ブロックまで保存することができる。実際に用意されているブロック数は16ブロックとなっているが、セーブデータの保存として使用される15ブロック分の管理用として1ブロック[注釈 12]使用しており、セーブおよびロードなどで内容確認のためにメモリーカードの読み込みが行われた際に管理データが読み込まれ、ブロック内に保存されたセーブデータタイトルの判別および削除処理で未使用領域として認識させ上書き可能にするために機能する。
ゲームタイトルによって使用ブロック数は異なり(パッケージに記載されている)、最低1ゲーム分、最大15ゲーム分のゲームデータを保存することが可能。複数のブロックを一括で確保するタイトルや、データ作成によって逐一ブロックを確保するタイトルが存在するため、ブロックによっては使用ブロック数が多くなり、1枚では足りずに2枚3枚と買い足すプレイヤーも多かった。のちにHORIなどから廉価な互換品が発売されると、売れ筋はそちらに移った[66]。
セーブデータの保存形式がバッテリーバックアップではなくなったことで、データ保存先の本体内部、もしくはカセットのバッテリーがなくなると同時にセーブデータが消失してしまう事がなくなった。バッテリーがなくなった時にセーブデータが消える事を防ぐために、別のメディアに移行させて電池交換を行う必要もなくなった。セーブされたゲームタイトルを所持していなくても本体管理画面で削除が可能になったが、操作ミスなどによりメモリーカードメニューでセーブデータを消してしまった時に、他の操作をする前なら、L1・L2・R1・R2を同時に押すことでデータの復元が可能。
ソフト開発メーカーの中で周辺機器の活用度を予想するアンケート調査では「対応させたい」と回答していたメーカーが多く、ハイスコアやボタン設定などを記録したりなど”あると便利”な機能に対応しているソフトは多いが、メモリーカードがなくても困らないソフトも多い[67]。
PlayStation 3の周辺機器などのメモリーカードアダプターを利用する事で、PS3に搭載された仮想メモリーカードにバックアップを取る事でPSNからダウンロード購入したアーカイブス版のセーブデータと従来のディスク版のセーブデータは両方に適用が可能になっている。ただし、PCにメモリーカードのデータを取り込む場合は様々な規格が乱立している。
業務用汎用筐体の「サイバーリードII」ではスロットリンクシステムが搭載されておりスーパーワールドスタジアム2000などの限られた業務用ビデオゲームにはメモリーカードの使用が可能な物もあった[68]。
コントローラー
一番の利点は、スーパーファミコンやPCエンジン、メガドライブなど、他ハードのコントローラーよりも強度を増した内ゴムの劣化に対する耐久性にある。
デジタル方向入力については、任天堂よる十字キーの実用新案権を侵害しないよう、試作段階では他社と同じような円形キーであったが、最終的に一部を内部に埋め込み、上下左右が独立したような外観形状とした。このため操作性に若干の難があった。
老若男女や国籍を問わない共通した記号として、「△○×□」ボタンが採用された。ゲーム内にも記号アイコンを表示させるソフトが発表されるなど、直観的に使える操作性を実現している[69]。
NINTENDO64の発表時、当時任天堂社長の山内溥によってゲームの"質的転換"の第一とされたのが、3Dスティックが標準搭載されていることだった。また、ゲームの動きに合わせて震える周辺機器「振動パック」をコントローラーの背面に挿して振動を楽しめるオプションも、売り物のひとつだった。当初は別売りだったDUALSHOCKを本体のモデルチェンジで同梱品にしたのは、様々なソフトを発売予定に持つNINTENDO64の対応策であることは疑いようもなかった[70]。アナログスティックを2本搭載したコントローラーは初となるが、2本をフル活用して操作を行うソフトは出る予定がなかった[71]。そもそも、アナログスティックの機能を有効化すると、アナログスティックを想定していない作品で入力が反応しなくなり、プレイできなくなるリスクもある。
仕様
- MIPS R3000A ベース 32ビット RISCプロセッサ (R3051)
- クロック周波数: 33.8688 MHz
- 4 KB 命令キャッシュ
- 1 KB データキャッシュ
- 命令処理能力: 30 MIPS
- バス帯域: 132 MB/s
- ベクトル演算コプロセッサ: GTE (Geometric Transfer Engine)
- ジオメトリエンジン
- 演算能力(描画性能): 最大150万ポリゴン/秒(SCE公表値)
- ポリゴン表示能力: 最大36万ポリゴン/秒(SCE公表値)[注釈 13]
- スプライト描画性能: 最大表示4000個(1/60秒、SCE公表値)[注釈 14]
- 可変長の整数演算
- テクスチャマッピング、グーローシェーディング、フォグ 半透明処理機能搭載
- 描画が1/60秒を超えた場合に垂直同期を待たずに表示を切り替えることができ、処理落ちを最小限に抑えられる。
- GTEの演算誤差(当時の半導体プロセスの制約から浮動小数点演算の実装は困難であり、高速化のために整数演算を用いている)の影響で、ポリゴンの間にPS特有の「継ぎ目」ができる。またパースペクティブ補正処理を省いているため、テクスチャマッピングにも独特の歪みが出る。他にも、Zバッファ法処理も省いているため、ポリゴンが循環的に重なると背面に隠れるはずのポリゴンが一番手前に現れる現象が起きる。
- テクスチャバッファとして使用できるメモリが少なく、テクスチャ伸長の際にピクセル境界やバンディングが露見する部分をカバーするため、後期のゲームでは展開後のテクスチャにディザリングをかける手法が多用された。
- 後期PSではジオメトリエンジンのアーキテクチャが改良されており、そのためプロセッサも「GTE」ではなく「GTE-2」と呼ばれた。
- 画像伸張エンジン MDEC (Macroblock Decoder)
- ダイサイズ: 128平方 mm(初期型)
- 集積トランジスタ数: 100万個
- 半導体製造プロセス: 0.6 μm(初期型)
- 最大 1677 万色(24 ビット)
- レンダリング解像度/最大解像度: 256 × 224 - 640 × 480
- CXD8514の場合は4 Mbit 60 nsのVRAM2個、CXD8561の場合は8 Mbit 12 nsまたは10 nsのSGRAM1個
- (PS oneの後期型)CXD9500QではGPUとSGRAMをワンパッケージ化
- 表示画素数: 256ドット×224ライン(ノンインターレース)〜640ドット×480ライン(インターレース[注釈 15])[注釈 16]
- 表示画面: 1面
サウンド SPU
- スーパーファミコンのサウンド用DSP「SPC700」の後継LSIである[6][注釈 17]。
- 再生時粒子化ビット数: 16 bit ADPCM(デジタルエフェクト搭載)
- サンプリング周波数: 最大44.1 kHz
- 同時発音数: 2.0chステレオ 24チャンネル
- リニアPCM2.0chステレオ出力(音楽CD再生時のみ)
- メモリ: 512 KB
メモリ
- メインメモリ: 2 MB EDO DRAM
- 4 Mbitチップ4個搭載のパターンと16 Mbitチップ1個搭載のパターンがある。
- ビデオメモリ: (VRAM): 1 MB
- オーディオメモリ: 512 KB[73]
メディア
コントローラ(プレイステーションコントローラ / アナログコントローラ / DUALSHOCK)
- コントローラ端子×2(最大2台。マルチタップ使用時は最大8台)
通信
- モバイルネットワーク: 2G mova(別途増設が必要)
AV出力
- アナログ映像出力: コンポジット端子×1(SCPH-5000まで)、S端子×1(SCPH-1000のみ)
- アナログ音声出力: RCA端子×1(SCPH-5000まで)
- アナログ出力: AVマルチ×1(RGB、コンポジット端子、S端子、RF端子に変換可能)
I/O
- メモリーカード差込口×2
- 通信(シリアル)×1
- 外部拡張(パラレル)×1(SCPH-7500まで。取扱説明書には「将来の機能拡張のため」と説明されていたが、これに対応する周辺機器は一度も発売されなかったため、SCPH-9000で削除された。)
- DC出力×1
外形寸法(幅、高さ、奥行き)
- SCPH-1000から9000 270×60×188 mm
- SCPH-100 193×38×144 mm
本機の発売後に登場した周辺機器で実現できるスペックを含む。
注釈
- ^ 周辺機器による。
- ^ 後継機に対するレトロニムとして。
- ^ 2016年に社名をソニー・インタラクティブエンタテインメント(略: SIE)に変更。
- ^ 「PCエンジンの成功を見たソニーは、ロムカセットの代わりにCD-ROMを用いたゲームを採用するように任天堂に提案」したという説もある[8]。
- ^ この様な経緯がある為、フィリップスによるスーパーファミコンCD-ROMは任天堂がライセンスを持ち、同社のソフト管理システムを維持する契約内容であった[24]。
- ^ 2014年4月1日よりSMEJは中間持株会社になったため、本来の事業はSMLへ移管されることとなった。
- ^ 一方で丸山は大賀が「そのように言ったらしい」と前置きしつつ、久夛良木にやらせてあげたらどうかと大賀に進言したところ、大賀は久夛良木を「君に預ける」と答えた[28]。
- ^ ただし、一部のテレビCMなどでは「プレステ」という表現が使用されている。
- ^ 100万台達成はライバルのセガサターンが先だった。
- ^ 厳密には、光を透かすと濃い青色に見える。
- ^ 実際はブロック内の実データは消去されず、削除処理にしたブロックを未使用領域として管理用ブロックに認識させた上で、該当ブロックをロード不可・上書き可能の状態にすることで、他のセーブデータの書き込みができるようにしている。参照:データの完全消去。
- ^ 管理ブロック内のセーブデータ2ブロック目の参照設定がゲームBと設定されることで、そのゲームで遊ぶ際にセーブデータ2ブロック目のタイトルをゲームBとして読み込む。仮に管理データがセーブ中のリセット等によって参照設定がゲームAになった場合、セーブデータ2ブロック目がゲームBのままでもゲームAとして読み込む。
- ^ テクスチャ・半透明処理・シェーディングを施した時の実測値。
- ^ スプライトサイズ8×8ドットの場合。
- ^ RAM容量の関係からこの解像度のグラフィックをリアルタイムで動かす事は難しく、主に「一枚絵」と呼ばれる画像の表示に用いられた。
- ^ チップ内部で持っているアスペクト比は横解像度が256, 320, 384, 512, 640ドット、縦解像度はノンインターレスの240ドットもしくはインターレスの480ドット。
- ^ スーパーファミコンの「SPC700」はソニーが開発していた。
- ^ 「ライセンシー」。サードパーティーやゲーム開発会社などが該当。対義語にはライセンスを許諾したメーカーを指す「ライセンサー」があり、ソニー・コンピュータエンタテインメントのことを指す。
- ^ 前述の通り開発機器には1台ごとに番号が振られており、背面シールに型番と製造時期、通し番号が記載されていることから、ある程度推測は可能。シールにSCPH-xxxxと記載されていたり、製造時期やシリアルが記載されていなかったりするものは確実に偽物。
- ^ 初心会は後に別名で復活するが、その影響力は皆無に近くなった。
- ^ このフレーズに関して、丸山は消費者向けというより社内向け[118]、久夛良木は協力メーカーへのエール[119]と語る。
- ^ LSIの集積化に関してはLSI Logicとパートナーを組んだ[127]
- ^ 複数の半導体を一枚のシリコンにまとめる
- ^ LSI面積を縮小し、一枚のシリコンウェハーからより多くのLSIを生産する
- ^ セガサターンはCPUを始めとして複数社からの半導体の採用による影響でコストカットやワンチップ化がしにくい複雑なハード構成に加え外注による生産であったこともあり、大幅なコストダウンが効かず、ソニーなどの競合機による価格競争に対抗して値下げを続けた結果、多額の赤字を計上することとなりセガは体力を消耗していった。[128]
- ^ 1986年時点で米Sun Microsystems社のワークステーションが1000万円以上、ソニーのワークステーション「NEWS」の最上位機種は低価格で市場に衝撃を与えたがそれでも275万円であった[145]。
- ^ 2001年4月からはPlayStation 2向けの会員サービスへと移行している。
- ^ 後にWindows版も発売。
出典
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