馬車 馬車の概要

馬車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 01:24 UTC 版)

馬車(チェコ、2005年)

現在は世界的に自動車にとって代わられつつあるが、農業の機械化が進展していない国や地域の農村部では、現在でも荷馬車を日常的に見ることができる。

歴史

紀元前

ヒッタイトチャリオット古代エジプトレリーフ
轀輬車中国語版 - 秦始皇帝陵兵馬俑坑出土兵馬俑

馬車がいつ何処で発明されたか明らかではないが、(紀元前2600年から紀元前1800年あたりの)インダス文明の遺跡であるハラッパーからは、轍(わだち)がある道路跡が発掘されている。

紀元前2800年から2700年の古代メソポタミア遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されている。この模型は2頭立て2輪の戦車(チャリオット)であった。戦車は古代オリエント世界と古代中国の商(の墳墓から戦車とウマの骨が多数出土)から時代などで広く用いられた[要出典]

紀元前3000年頃の青銅器時代コロの原理から車輪が生まれ、それが紀元前2000年頃のの発明と結びついて、組み立て車輪の馬車が誕生した[2]

古代ローマでは戦闘用として戦車が用いられたほか、娯楽として戦車競走が盛んに行われた。現在のローマ市にあるナヴォーナ広場は当時の戦車競技場の跡地であり、広場全体の形が当時の競技場のまま残されている。映画ベン・ハー』で描かれた戦車競技が良く知られている。

また、古代ローマの帝政期には、帝国全土にはりめぐらされたローマ街道を用いた郵便馬車制度が整備された。この郵便馬車は4輪であった。ローマ帝国が衰退すると、都市間の道路網の整備が行き届かなくなり、馬車の発展を妨げた。

中世

14世紀ハンガリーでは、で座席を吊り下げた懸架式の馬車が登場し、17世紀にはばねによるサスペンションを備えた馬車が登場した。

16世紀後半には、ヨーロッパ諸宮廷において馬車の使用が新しい流行として広まり、同世紀末までに馬車は貴族階級の主要な移動手段となり、宮廷儀礼においても馬車が重要な役割を果たすようになった[3]。こうした馬車の急速な普及により、馬車のための諸設備が必要となり、建築や都市計画にも影響を与えていった[3]

1625年ロンドンに辻馬車が登場。ほどなく、パリにも登場している。辻馬車は、走行時間によって料金が設定されていたが、19世紀にはメーターが導入されたことにより、走行距離によって料金が示されるようになる。このシステムはタクシーに引き継がれた。

1662年ブレーズ・パスカルはパリで乗合馬車5ソルの馬車」を創業する。これは現代のバスに相当するもので、世界初の都市における陸上公共交通機関とされる。安価で正確な運行により、好評を博した。

18世紀に入ると、ヨーロッパの主要都市間を結ぶ駅馬車が整備されてくる。例えばパリリヨン間の駅馬車であるdiligenceは、夏は5日、冬なら6日で、両都市間を結んだ。

19世紀以降

フランス、fr:Vaux-le-Vicomteの博物館に展示されている1840年ころの馬車。

産業革命を受け鉄路が安価になると、19世紀にウマを動力として鉄道を走る馬車鉄道が発明された。しかし、蒸気機関車が発明されたことから、馬車鉄道は早期に衰退した。蒸気機関車発明後もどこでも自由に移動できる馬車はヨーロッパの都市部で盛んに利用された。また、19世紀のパリでは、「昼は2人乗りの二輪馬車、夜は箱型四輪馬車」を所有することが富裕層のステータスでもあり、悪路の多いパリでは衣服を汚さない馬車の利用が上流階級の証だった[4][3]

イギリスでは辻馬車であるハックニーキャリッジのうち、エンジンで走行するものは車体が黒色に塗られており、一般にブラックキャブ(black cabs)と呼ばれていた。現在ではロンドンタクシーの通称ともなっている。

モルモン教徒が、イリノイ州ナヴーから氷結したミシシッピ川幌馬車で越える情景(1878年作)
1905年、米国 ネヴァダ州にて。

またアメリカ合衆国では西部開拓が盛んになり、開拓民は幌馬車隊を組んで西部に向け移住していったが、19世紀後半には鉄道網が発達し、さらには、その後、馬車の車体を改造し蒸気機関を搭載した蒸気自動車[要出典]やガソリン等を燃料にしたエンジンを搭載した自動車が発明されたことにより、馬車は陸上交通機関の主役の座を奪われ、急速に衰退していった。

アメリカ合衆国アーミッシュはその教義・信念によって自動車を運転しないため、現在も馬車を実用的な交通機関として使っている。米国の道交法に違反しないよう、方向指示器などを取り付けている。

競馬競技においては競走馬のうしろにある繋駕車(一人乗りの二輪馬車)に乗って競走をする繋駕速歩競走が、広く世界各地で開催されている。

様々なタイプ

イギリスのカブリオレ
クーペ
キャリッジ

馬車の形状や用途ごとに次のような分類がされることがある。ただし、厳密な分類体系があるというわけではなく、一部は重なる。また所有者の地位や趣味なども反映された[5]

バギーカブリオレクーペワゴンなど、自動車の分類に引き継がれた呼称もある。

アジア
  • 轀輬車中国語版 - 中国の春秋戦国時代、秦代、漢代の王侯貴族が乗っていた馬車。秦の始皇帝の御車を模した像として、銅車馬2台が秦始皇帝陵から出土している。
  • 玉輦、玉輅、乗輿、金根車 - 中国の天子が乗る車
  • 軺車 - 中・下級官僚が乗る開放的な馬車

  1. ^ 馬車(ばしゃ)の意味”. goo国語辞書. 2020年11月6日閲覧。
  2. ^ 自動車前史 1.自動車の起源は馬車に始まる 独立行政法人環境再生保全機構[リンク切れ]
  3. ^ a b c 金山弘昌、「馬車と宮殿 : 17世紀のピッティ宮諸計画案における馬車の影響」『日本橋学館大学紀要』 2巻 2003年 p.39-52, doi:10.24581/nihonbashi.2.0_39, 日本橋学館大学
  4. ^ 馬車の時代市川市文化振興財団音楽総合プロデューサー 小坂裕子、てこな・ミューズ・ジャーナル[リンク切れ]
  5. ^ 斎藤和夫, 「VANITY FAIR<虚栄の市>を馬車が行く : Thackerayが描くsnobberyの一側面」『札幌大学女子短期大学部紀要』 38巻 2001年 p.33-86, NCID AN00074536
  6. ^ 福翁自伝によると、万延元年遣米使節団に参加した福沢諭吉はアメリカで馬車を見たが、最初何かわからず、はじめて馬が引く車があることを知ったという
  7. ^ 維新史料綱要 東京大学史料編纂所
  8. ^ 法令類纂
  9. ^ 岡田清、交通法規制の変遷-明治時代期以後の交通法規 公益財団法人国際交通安全学会
  10. ^ a b 社史 日本通運(株)
  11. ^ 山崎幹泰、「山中馬車鉄道株式会社と その客車の遺構について」 『北陸都市史学会誌』 15号、2009年7月
  12. ^ 信任状捧呈式の際の馬車列(宮内庁HP)


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