秦郁彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 14:01 UTC 版)
主張
中国新聞「BC級戦犯」問題
1990年8月15日から中国新聞紙上で連載されていた「BC級戦犯」(御田重宝解説委員)について、高嶋伸欣と林博史が連名で中国新聞社に抗議文を送りつけた問題について、秦は高嶋・林の主張を「『あら探し』か『言いがかり』のレベル」だとして御田記者を擁護した[37]:433,434。これについて、秦と高嶋・林の間で雑誌『正論』の1992年9月号から11月号で双方の議論が行われた(詳細は「中国新聞#連載「BC級戦犯」問題」参照)。
靖国問題
昭和天皇が靖国神社に参拝しないようになった理由は「A級戦犯合祀」であると主張して、首相・三木武夫の「私的参拝発言」原因説を唱える岡崎久彦、渡部昇一、櫻井よしこらを『諸君!』誌上や産経新聞「正論」欄で批判している[要出典]。
2006年7月に日本経済新聞社紙上で、昭和天皇がA級戦犯の靖国神社合祀に強い不快感を示した記述が含まれる富田メモの存在が報道された。秦はこの真偽を評価する研究委員会委員をつとめ、このメモが本物であると認定した[要出典]。
張作霖爆殺事件
張作霖爆殺事件に関しては、河本大作大佐を中心とする日本陸軍の犯行であることは明らかであるとし、ソ連特務機関犯行説を陰謀論だと批判している。秦は、ドミトリー・プロホロフ本人が伝聞と推論の産物と自認したのだから騒ぎは決着しそうなものだと述べている[38]。(ソ連特務機関犯行説については、「張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説」参照)
論争
渡部昇一との論争
南京虐殺4万人説を取る秦は、南京虐殺ゼロ説を主張する田中正明と座談会でやり合ったことがあり、雑誌『正論』の連載の中で、渡部昇一が田中正明の『”南京大虐殺”の虚構』に推薦文を寄せていることに触れた際に、渡部があまりに田中を誉めていることを不快に感じて「この人は出世作の『ドイツ参謀本部』で、写真ぐるみワルター・ゲルリッツのHistory of German General Staffを大幅借用したぐらいだから、盗用や改竄には理解があるのかもしれない」と書いた。秦自身は、大幅借用とは書いたが、盗用や剽窃とは一線を画した表現に自制したという。渡部は、その8年後に秦の『昭和史の謎を追う』でこの件を知ったとして、反論の論文を書いた。これに対し、秦は、本が出た直後にゲルリッツが種本だと気づいていた、自分だけでなく、その頃に何人かのドイツ近現代史研究者の間で半ば公然とそう語られていたとした。[39]
秦によれば、渡部の反論は、秦は歴史専門家としては失格という主張が内容の半分を占め、肝腎のゲルリッツ利用の実情は全体の一割だったとする。秦は、渡辺の著述について借用したと思われる箇所をあげて、「大幅無断借用」と断じ、渡辺自身はこの著書を素人のダンナ芸としているのでアラ探しするのもバカバカしいとしながら、素人だからといってマナーが悪くなりがちだが、著作権をまもる責任はプロもアマも区別はない、写真の制約はさらに厳しく、出所の明示だけでなく著作権者の許諾が必要と主張した。[39] (実際には写真の場合は、1956年までに発行または制作のものは日本では全て著作権が切れている[40]。)
田中正明の松井大将陣中日記改竄問題との関連
なお、秦によれば、田中正明が犯した松井大将陣中日記改竄問題について、渡部は1989年に刊行した『日本史から見た日本人・昭和編』で田中正明を弁護し、さらに「田中氏のもののほかでは、阿羅健一氏や板倉由明氏らの調査活動に共感を持つ」(p.389)と渡部が誉めていたので、秦は、田中の改竄を調べ上げて最初に雑誌に発表したのは板倉であり、渡部は田中対板倉の叩き合いを知らないのかと失笑したとしたとする[39]。
実際には、この改竄発見自体は、他ならぬ秦郁彦本人が、南京虐殺の有無をめぐって田中正明と対立したことから、『歴史と人物』編集部(中央公論社)に田中正明の出した松井大将陣中日記を調べてみないかと話を持ち込み、横山編集長が話に乗って編集部関係者で調べたところ、松井石根大将(南京攻略戦総司令官)の陣中日誌等の改竄を発見、発覚したものである[41]。
中村粲との論争
また、秦郁彦は、日清戦争時の旅順虐殺事件も乃木旅団長の関与を巡って、対談で中村粲と論争になり、秦によれば、1990年雑誌『自由』の6月号で中村は秦が京大全共闘出身の左翼論客やアメリカ人学者を誘って自分を叩く陰謀を企てたが実現しなかったと書き、対して秦は10月号で両人について心当たりがないから名前を出せ、白昼夢をみたのではないかと反論、12月号で中村は、第三者を巻き込みたくないので名前を出すのは遠慮する、(しかし)こんな具体的で複雑な白昼夢を見ることなどあるか、と躱して此の件は終わったという[39]。
昭和天皇独白録を巡る論争
1990年12月号の文藝春秋において公表された「昭和天皇独白録」について、翌月号の座談会で伊藤隆、児島襄、半藤一利とこの資料の評価を行った。秦は、「独白録」は昭和天皇の戦犯訴追を回避するためにGHQに提出することを念頭に作られた弁明書であり英語版も存在するはずであると主張し、政治的な背景を持たない率直な内輪話の記録に過ぎないとする伊藤、児島と対立した。伊藤は「秦さんのいう英語版が出てきたらカブトを脱ぎますがね(笑)」、児島は「せいぜい秦さんにお探しいただきましょう(笑)」とコメントしている。後に英語版が実際に発見されている[42]。
人物評
- 家永三郎を「変節組」と批判し[要出典]、家永教科書裁判においては、国側証人として出廷した。
- 司馬遼太郎に関しては、秦は『昭和史の秘話を追う』にて戦前昭和期(特に旧日本軍)に対する司馬の言説を「新司馬史観」「司馬神話」などとして批判・否定している。また戦後においては、旧日本軍の批判を行うことは圧倒的な大義名分が備わっていたために、司馬の言説を盲信したマスコミや評論家が子引き・孫引きを行い、世間に伝播した結果「新司馬史観」は大きな権威を持って受容される結果となり、旧日本軍の戦車も参謀も将軍も全て劣悪だった、という自虐的イメージが広く定着してしまい歴史学者も逆らうことが困難だったとしている[43]。
- 東條英機は、仮に東京裁判の代わりに日本人による裁判が設けられていたとしても、当時の法律に則りチャハル作戦における捕虜殺害、憲兵を用いた弾圧等を罪状として有罪となっただろうと著作『現代史の争点』で主張している[要ページ番号]。
- デビッド・バーガミニの『天皇の陰謀』についてウソや初歩的ミスが多いと批判した。秦は、1965年、米留学から帰って来た際に、来日中の知人クローリー博士からバーガミニを紹介され、ノートを貸す等協力したが、同書について「田中上奏文」や「シオン議定書」と並べて偽書と評している[44]。
その他
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 選択的夫婦別姓制度導入に否定的[45]。
- 吉見義明・中央大名誉教授が、桜内文城(ふみき)前衆院議員に対し損害賠償などを求めて起こした裁判で、桜内側に立った証言を行った。この秦証言の内容に関して、渡辺春巳は『秦郁彦証言とその非学問性』という論文で批判した[46]。
- 2015年2月23日付の産経新聞紙上で、元朝日新聞記者植村隆について「訴訟までの約1年、被告ばかりか日本メディアの取材を拒否し、手記も公表していない」と批判したが[47]、産経新聞は6月8日付朝刊で「植村氏は複数の日本メディアの取材に応じており、手記も発表しています。産経新聞のインタビューの申し込みには応じませんでした」と、訂正して謝罪した[48]。
- ^ 個々の兵員が武器を捨て,敵権力に服するのが投降で、司令官の間で「降伏規約」を結び,兵員等の引渡し,武装解除等を取り決めるが降伏。山本七平少尉は特使として米軍との交渉に応じ、数十人規模で降伏して在フィリピン米軍に降った。
- ^ 北之園陽徳は中国兵が綿服を着ていたと言っている[22]。
- ^ 2007年の安倍首相の発言にしては「安倍晋三#歴史観#慰安婦問題」を参照
- ^ 本書の英訳は、2013年に内閣官房で英訳プロジェクトが内定していたが、新任の内閣広報官から、日本政府の後押しが露見したらまずいとの理由で、ドイツ、英連邦、米国、韓国などの例を記述した部分を訳出の対象から外すことを提案され、秦が断った事で一旦流れていた[29]。
- ^ この論文は「従軍慰安婦たちの春秋(上)」という章タイトルで、文芸春秋発行の雑誌『諸君!』に、やはり慰安婦をテーマに掲載された秦の論文を「従軍慰安婦たちの春秋(下)」というタイトルで、セットにして文藝春秋社が出版した『昭和史の謎を追う』(1993年3月)に収録され、菊池寛賞を受賞した。
- ^ a b 秦郁彦『旧制高校物語』文藝春秋(文春新書)、2005年、著者紹介。
- ^ 著者プロフィール 秦郁彦 - 新潮社
- ^ a b “時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(1)大本営発表に疑問抱く”. 読売新聞朝刊. (2017年3月14日)
- ^ a b c d e “時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(4)国鉄マンだった父 戦死”. 読売新聞朝刊. (2017年3月18日)
- ^ a b c 『慰安婦問題の決算 現代史の深淵』PHP研究所、2016年、200-202頁。ISBN 9784569830070。
- ^ “時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(5)あだ討ちの心情消えた”. 読売新聞朝刊. (2017年3月20日)
- ^ 『現代史の争点』文春文庫、2001年。ISBN 4167453061。
- ^ 『現代史の虚実』
- ^ 時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(7)白眉 丸山真男の分析力『読売新聞』朝刊2017年3月22日
- ^ 時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(12)公務員試験 独学で挑む『読売新聞』朝刊2017年3月29日
- ^ 秦郁彦編『日本官僚制総合事典 1868-2000』(東京大学出版会、2001年)巻末年度別各省キャリア官僚入省者一覧
- ^ 時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(13)旅館から車で初登庁『読売新聞』朝刊2017年3月30日
- ^ 時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(14)歴史の女神に魅入られて『読売新聞』朝刊2017年3月31日
- ^ 『職員録 昭和45年版 上巻』大蔵省印刷局、1969年発行、461頁
- ^ 時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(20)沖縄返還と財政史編纂『読売新聞』朝刊2017年4月11日
- ^ 時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(23)「天皇退位せず」の特ダネ『読売新聞』朝刊2017年4月15日
- ^ 奥付 『日本近現代人物履歴事典(第2版)』秦郁彦
- ^ 秦 郁彦/著∥∥2007.7『南京事件 :増補版 -「虐殺」の構造』中央公論新社〈中公新書 795〉、2007年7月、214頁。
- ^ p.4 3月刊『中国』志々目彰 1971年 引用『政経研究』再録p.297『旧日本軍の生態学』秦郁彦 2014年
- ^ p.4 3月刊『中国』志々目彰 引用『政経研究』再録p.297『旧日本軍の生態学』秦郁彦
- ^ p.34 『南京「虐殺」研究の最前線』秦郁彦・東中野修道 展転社 2002年
- ^ 『政経研究』再録 p.302『旧日本軍の生態学』秦郁彦
- ^ a b 秦郁彦『現代史の争点』文春文庫 2001年 ISBN 9784167453060
- ^ “米教科書の訂正求める=慰安婦記述で日本歴史家”. 時事ドットコム. 時事通信社. 2015年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月3日閲覧。
- ^ “【詳報】「強制連行があったとするマグロウヒル社の記述は誤り」従軍慰安婦問題で、秦郁彦氏、大沼保昭氏が会見 (1/2)”. BLOGOS. LINE. 2022年5月3日閲覧。
- ^ “2013年06月13日(木)「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」(対局モード)”. 荻上チキ・Session-22. TBSラジオ→WaybackMachine. 2013年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月7日閲覧。
- ^ 『諸君!』2007年7月号 秦郁彦、大沼保昭、荒井信一「激論 「従軍慰安婦」置き去りにされた真実」
- ^ “慰安婦の真実を 秦郁彦氏の著書を英訳出版”. (2018年10月31日). オリジナルの2023年2月19日時点におけるアーカイブ。 2023年2月19日閲覧。
- ^ 「慰安婦問題の春夏秋冬」『読売新聞』、2017年4月25日。
- ^ 河野談話作成過程等に関する検討チーム (2014年6月20日). “慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯 河野談話作成からアジア女性基金まで”. 2016年1月23日閲覧。
- ^ “【詳報】「強制連行があったとするマグロウヒル社の記述は誤り」従軍慰安婦問題で、秦郁彦氏、大沼保昭氏が会見 (1/2)”. LINE株式会社. 2022年5月21日閲覧。
- ^ “米教科書「慰安婦」に事実と異なる記述 識者19人が訂正要求 (1/2ページ) - 政治・社会”. ZAKZAK. 夕刊フジ. 2022年5月8日閲覧。
- ^ a b 慰安婦報道検証 第三者委員会報告書 (PDF)
- ^ “慰安婦問題で「吉田証言」に踊った人たち 記事取り消しの意味”. SankeiBiz. (2014年8月9日) 2014年8月10日閲覧。
- ^ 秦1999,p232-234
- ^ 今田真人『吉田証言は生きている』共栄書房 2015年 ISBN 9784763410634
- ^ 秦郁彦『昭和史の謎を追う 上 (文庫版)』文藝春秋 1999年 ISBN 9784167453046
- ^ 秦邦彦「陰謀史観」2012
- ^ a b c d 秦郁彦『現代史の光と影』グラフ社、1999年6月20日、232-235,235-248,246,247頁。
- ^ “JPCA-NEWS-019.pdf”. JPCA NEWS. 日本写真著作権協会. p. 3. 2022年5月4日閲覧。
- ^ “(3ページ目)「陣中日記」改ざん、都合が悪い1冊を「電車で紛失」…戦時中の「伝説や史料」その“真贋””. 文春オンライン. 文藝春秋. 2022年5月4日閲覧。
- ^ 『昭和天皇の終戦史』岩波書店、1992年。ISBN 4004302579。
- ^ 『昭和史の秘話を追う』 - 第四章 司馬遼太郎と戦車
- ^ 秦郁彦『昭和史の謎を追う』 上、文藝春秋〈文春文庫〉、1999年12月10日、29-33,32,432-447,432-447,435頁。
- ^ 『産経新聞』2015年11月25日
- ^ 渡辺春巳「秦郁彦証言とその非学問性」『商学論纂』第58巻5・6、中央大学商学研究会、2017年3月、267-316頁、ISSN 0286-7702、NAID 120006642244。
- ^ 産経新聞『大弁護団抱える植村訴訟の争点 現代史家・秦郁彦』(2015.2.23) https://archive.is/iw87C
- ^ “植村応援隊: 産経新聞が訂正記事を掲載(6/8)”. 植村応援隊 (2015年6月10日). 2020年2月6日閲覧。
- ^ 『慰安婦と戦場の性』裏表紙推薦文
- ^ 著書『日中戦争史』復刊の際のパンフ(池井優慶大教授)より
- ^ Chalmers Johnson, Peasant Nationalism and Communist Power (Stanford: Stanford University Press, 1962), 200
- ^ 史学雑誌102-3、1993年3月、佐々木隆による同書の新刊紹介
- ^ Edward Drea, Japan's Imperial Army: Its Rise and Fall 1853–1945 (Lawrence, Kansas: University Press of Kansas, 2009), ix
- ^ Edward Drea, "Book Review: Hirohito: The Showa Emperor in War and Peace," Global War Studies 8, no. 1 (2011), 172-174
- ^ Joshua A. Fogel (2003). "Response to Herbert P. Bix". Japan Focus
- ^ Masahiro Yamamoto, Nanking: Anatomy of an Atrocity (Westport, Connecticut: Praeger, 2000), xi
- ^ 伊藤之雄『昭和天皇伝』文藝春秋、2011年7月、19頁。ISBN 978-4-16-374180-2。
- ^ 伊藤之雄『昭和天皇伝』文藝春秋、2011年7月、372頁。ISBN 978-4-16-374180-2。
- ^ 奈良岡聰智 (2016年12月22日). “「現代の古典」を読む”. 中央公論新社. オリジナルの2017年1月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『外交フォーラム』2010年4月号、都市出版、北岡伸一「『日中歴史共同研究』を振り返る」
- ^ 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判」『週刊金曜日』 290号 1999年11月5日 - 林博史研究室 論文ページ
- ^ 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年6月30日、383頁。
- ^ 林博史 (1999-11-05). “秦郁彦『慰安婦と戦場の性』批判”. 週刊金曜日 (290).
- ^ 永井和 日本軍の慰安所政策について『二十世紀研究』創刊号、2000年
- ^ 前田朗 『秦郁彦の「歴史学」とは何であるのか?』 (日本の戦争責任資料センター『戦争責任研究』 2000年春季)
- ^ 前田朗 (10 1999). “天に唾する素人研究家ー秦郁彦(日大教授)の呆れた無断盗用”. マスコミ市民.
- ^ 前田朗 (2000). “秦郁彦の『歴史学』とは何であるのか?-『慰安婦と戦場の性』に見る手法”. 戦争責任研究 (春): 75-81.
- ^ 「京都大学経済学研究科東アジア経済研究センター ニュースレター」2015年2月2日発行 第555号、京都大学経済学研究科教授堀和生『東アジアの歴史認識の壁』[1]
- ^ a b 今田真人『吉田証言は生きている』共栄書房、2015年4月10日、80-81,164-167,159-161,91,169-179,172-176頁。
- ^ 南雲和夫・法政大学講師 (1999). “写真の『引用』と『盗用』 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』の写真盗用問題について”. マスコミ市民 (10).
- ^ 『日本の論点』文藝春秋1999
- ^ 異様な肺ガンの急増ぶり/秦郁彦(現代史家)『愛煙家通信』No.2
- ^ 上:竹前栄治・天川晃 共著
- ^ 文藝春秋 80周年記念出版 世界戦争犯罪事典
固有名詞の分類
- 秦郁彦のページへのリンク