秦郁彦による「据え物斬り」説とは? わかりやすく解説

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秦郁彦による「据え物斬り」説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:07 UTC 版)

百人斬り競争」の記事における「秦郁彦による「据え物斬り」説」の解説

千田夏光は、秦郁彦との対談で、「じつは私、「百人斬り」の記事書いた東京日日新聞記者から当時の話を少し聞いたことがあります北海道毎日新聞つくったときに社会部長で行かれた方です。あの方は、数の確認はしていません。フィクションとはいいませんが、筆がすべったんだというような意味のことをおっしゃっていました。でもそのことについて、ずっと黙っていらしたもう一人は何もおっしゃらないで、後に中国移り住みました。」と述べた。これに対し秦は「多少はあったということですね。百人斬りについて、私は通説とはちょっと違う見解なんですよ。これは捕虜据えもの斬りだったのではないか推定してます。もちろん百人はオーバーでしょうが、百人斬りをやったとされる二人少尉のうち、一人有名になってから母校小学校講演して生徒たちに、あれは捕虜を斬ったんだと話しているんです。それを聞いた人が何人かいるんですよ。捕虜据えもの斬りなら可能なんです。」と述べた秦郁彦は、1991年夏、志々目彰の証言の裏付けをとるために鹿児島師範学校付属小学校同級生名簿頼り問い合わせ、「野田中尉が腰から刀を抜いて据えもの斬りをする恰好見せてくれたのが印象的だった」という辛島勝一証言、「実際に捕虜を斬ったのだと言い、彼らは綿服着ているのでなかなか斬れるものではなかった」と付け加えたという北之園陽徳証言野田全校生徒前に剣道場捕虜据え物斬りの恰好をして見せたのを記憶しており、あとで剣道教師から「とんでもない所行だ」と戒められたという日高誠証言などを紹介し、「どうやら一般住民はともかく、野田白兵戦だけでなく、捕虜並べて据え物斬りをやったと『告白』したのは事実らしい。」と述べた

※この「秦郁彦による「据え物斬り」説」の解説は、「百人斬り競争」の解説の一部です。
「秦郁彦による「据え物斬り」説」を含む「百人斬り競争」の記事については、「百人斬り競争」の概要を参照ください。

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