逮捕と取調
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1935年(昭和10年)12月8日、警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を急襲した。前回と同じく当局は大本側が武装していると信じており、警官達は決死の覚悟であった。急襲前に警官達は、赤穂事件さながらに「水盃」まで交わしている。しかし、大本の施設をいざ急襲してみると、竹槍一本見つからず、幹部も信徒も全員が全くの無抵抗であった。王仁三郎は巡教先の松江市で検挙された。罪名は不敬罪並びに治安維持法違反。6日間の捜索で5万点の証拠品を押収した。取り締まりは地方の支部や関連機関にも及び、検束や出頭を命令された信徒は3000人に及ぶという。最終的に987人が検挙され、318人が検事局送致、61人が起訴された。特別高等警察の激しい拷問で起訴61人中16人が死亡している。松山巖の著書『うわさの遠近法』には、20名の信者が獄死あるいは発狂したと伝えられる、とある。異端審問とも比喩される。王仁三郎の後継者と目された娘婿・出口日出麿は拷問により精神的異常をていし、王仁三郎は「日出麿は竹刀で打たれ断末魔の悲鳴あげ居るを聞く辛さかな」と辛い心境を詠った。こうした厳しい取調べにも関わらず転向者は少なく、王仁三郎・すみ夫妻のカリスマと人間性が信者達の抵抗を支えたと見られる。唐沢は京都府会議事堂で全国特高課長を集め「大本教は地上から抹殺する方針である」「わが国教と絶対相容れず、許すべからざる邪教」と宣言したが、翌日二・二六事件が勃発して現地視察も祝宴も取りやめとなった。後に同事件で逮捕・処刑された北一輝は大本と軍部の関係について訊問され、「大本教は邪霊の大活動」と述べて関連性を否定した。北は相沢事件で死亡した永田鉄山陸軍少将(統制派)と大本教の間に関連があると供述したが、歴史家松本健一は「北の答えは皇道派と大本教との関係を切るための弁明」と解釈している。当局側は革新軍部と右翼勢力が大本事件に関係する可能性はなくなったと判断し、さらなる強硬手段を準備した。 第二次大本事件では第一次大本事件を遥かに凌駕する徹底した弾圧が行われた。『霊界物語』などの諸著は安寧秩序紊乱との理由づけで発売頒布禁止処分となった。当局もマスコミを利用、メディアも事件をセンセーショナルに書きたてた。彼らは第一次大本事件と同様に大本と王仁三郎を妖教・怪物として非難。検挙されなかった信者達も「反逆者」「非国民」というレッテルを貼られて精神的にも経済的にも追い詰められた。厳しい境遇の中で信者達は隠れキリシタン同然の信仰を守り続けたという。 当局は裁判前の時点で教団施設の全破壊を急いだ。1936年(昭和11年)2月25日、「大本教ノ教義宣布衆庶参拝ノタメニ使用スル建物徹却ニ関スル件」で邪教撲滅の意思を確認する。3月13日、林頼三郎司法大臣は不敬罪と治安維持法の嫌疑で起訴決定、潮恵之輔内務大臣は大本解散命令を決定した。唐沢は「大本邪教の徹底的掃蕩を期する為め当局は今後あらゆる手段を尽くす積もりであります」と各府県警察部の特高課長に通達した。同日、内務省警保局長から警視総監と各庁府県長官に対し、警保局保発甲第14号「大本教ノ神社ニ紛ラハシキ奉斎施設ノ撤去其他ニ関スル件」が出され、全国の教団施設・建物・碑石類の撤去が決定する。当局は事前に綾部・亀岡の町議会に要請し、合計5万坪・時価80万円の土地を6000円(坪12銭。当時の煙草朝日12銭、敷島15銭)で王仁三郎・すみ夫妻から強制的に買収した。なお、2月の時点ですみ(澄)は逮捕されていなかったが、土地・財産の強制譲渡を巡って拘束され、その後逮捕された。作業は清水組が9万204円で請け負ったとされる。破壊は5月11日から開始され、 1872年(明治5年)の大蔵省通達118号違反(1936年2月8日内務省警保局発甲第7号 無頼寺院仏堂創立禁制ノ件違反とも)を理由に亀岡の聖地をダイナマイトで跡形も無く破壊。綾部・亀岡では、1ヶ月間延べ6785人を捜査に従事させ、9934人が破壊作業に従事、64点・240余棟の建造物を破却(個人財産を含む)、費用約3万円を大本側に請求した。また王仁三郎一家の個人資産、教団の備品、土地といった財産も安価で競売にかけて処分。石碑や信者の墓石に至るまで、大本の称号を削り落としている。海外の拠点でも幹部の検挙や施設破却が行われた。開祖・出口なおの墓に至っては柩を共同墓地に移し「衆人に頭を踏まさねば成仏できぬ大罪人、極悪人なり」として、腹部付近に墓標を立てている。日本政府は、もはや人間の礼節すら配慮する余裕を失っていたと指摘される。作家の坂口安吾は廃墟となった亀岡本部を訪れ、惨状を紀行文『日本文化私観』として残した。
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