第五共和政期(1958年-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 21:14 UTC 版)
「ライシテ」の記事における「第五共和政期(1958年-)」の解説
1958年 - 第五共和政憲法発布。人種・宗教による差別の禁止、法の下の平等がより強調される。 ミッテラン政権 1989年 - 始業期である秋、パリ近郊クレイユ市の中学校で、スカーフ(ヒジャブ)を着用していたイスラム系の女生徒2人が教師によって教室への入室を禁止され、大きな論議を呼び起こす。11月、国務院が、「表現の自由及び宗教の表明の自由の行使である限りにおいて、ライシテ原則に抵触しないが、宗教的標章が、その性質上、又はこれを個人的に又は集団として着用する条件により、ないしはこれ見よがしな (ostentatoire) 又は権利要求的な性質により、圧力行為、挑発、プロゼリティスム(宗教勧誘)又はプロパガンダとなるおそれがある場合は、かかる標章の着用は許されるべきではない」と回答した。 12月、教育相リオネル・ジョスパンが、宗教的標章に関する通達を出し、「生徒は、宗教的信仰を助成するような衣服及びその他の目立つようなすべての標章に注意しなければならない。・・・これについて紛争が起こった場合は、直ちに生徒とその府警に対して対話を求めなければならない。対話は、生徒の利益のため、そして、学校がうまく機能するために、宗教的標章の着用をやめさせることを目的とする」とした。 1990年 - モンフェルメイユのジャン・ジョレス中学校で、新たなスカーフ事件があり、退学となったイスラム系女生徒3名の親が提訴する。 1992年11月2日 - ケルーア判決(仏: arrêt Kherouaa)で、「宗教的なしるしを全て絶対的に禁止することは不法」と判断される。 1994年 - 9月、教育相フランソワ・バイルが、「生徒を学校の共同生活規則から分離させるような目立つしるしが校内で増加することは容認できない」旨の通達を出す。 シラク政権 1995年 - 7月、国務院が、「目立つしるし」の定義の曖昧さを理由に、バイル通達の無効を通告、スカーフの全面禁止を否定する。 1997年 - 11月、国務院が、スカーフを「目立つ攻撃的なしるし」とは看做せないと明言。退学は「体育・水泳などの義務科目への参加を拒否することで正当化される」と付け加える。 2000年 - 5月、国務院が、スカーフ着用を理由に休職処分となった臨時校内監視員の事例に関し、「宗教的信仰を明らかにする権利を持っている公立学校職員に対し、ライシテ原則はその権利の妨げになっている」との判決を下す。 2002年 - 12月、リヨンでスカーフを折ってバンダナ風に着用していた生徒に関し、教育委員会が規律委員会開催を拒否したことに抗議して、教員ストが実施された。 2003年 - 4月、フランス・イスラム団体連合(UOIF)の会議の席上、内務相ニコラ・サルコジが「身分証明写真は無帽であることを義務付ける」旨の発言をする。5月、イスラム教フランス評議会(CMCF)の公的会合が初開催。 6月、国民議会内に、教育機関における「宗教的しるし」着用に関する調査団が設置される。 7月、大統領ジャック・シラクが、ベルナール・スタジを委員長とする「共和国におけるライシテ原則適用に関する検討委員会」(スタジ委員会)を設置。 10月、シラクが「ライシテの問題は交渉によって解決できるものではなく、法律を最後の手段とすることができる」と発言。 11月、国民議会内の調査団が「目につく政治的・宗教的しるしを禁止する」立場を明言。 12月11日、スタジ委員会が「差別反対政策」と「公共サービス職員の中立性を明確にし、公立学校におけるあらゆる宗教的・政治的しるしを禁止する「ライシテについての法律」制定」を進言。また同時に、宗教融和策としてイスラームの祝日「イド・アル=フィトル」と、ユダヤ教の祝日「ヨム・キプル」も、国民の祝日に加えるよう進言。 12月17日、シラクが学校内の宗教的しるし禁止の法制化には賛同するが、休日を2日増やすことは拒否すると発言。 12月21日、スカーフを付けた約3000名が法案反対デモを行う。 2004年 - 1月5日、公立学校における「宗教的標章規制法」(宗教的シンボル禁止法、スカーフ禁止法、ヒジャブ禁止法)法案が国務院に提出される。1月17日、2万名以上が法案反対デモ。 1月19日、パリで法案反対集会。5000名参加。 2月10日、国民議会(下院)が同法案可決。 3月3日、上院で同法案が可決し成立。 9月、同法律の施行開始。 サルコジ政権 2007年12月、ニコラ・サルコジ大統領がラテラノ大聖堂の名誉参事会員の称号を与えられた際の演説で、フランス共和国の歴史とカトリック教会のつながりをことさらに強調し、ライシテについて否定的な見方をしたことで猛攻撃を受ける。この際、「積極的なライシテ」という概念を打ち出した。 2008年9月、サルコジ大統領は教皇ベネディクト16世の訪仏時も「積極的なライシテ」、「開かれたライシテ」の必要性を訴えた。 2010年 - 7月13日、公共空間でブルカ等の着用を禁止する「ブルカ禁止法」が国民議会(下院)で可決。9月14日、同法案が上院でも可決、成立。 2011年 - 4月11日、「ブルカ禁止法」施行開始。 オランド政権 2013年 - 9月9日、ヴァンサン・ペイヨン教育相が「ライシテ憲章」を発表。11月、パキスタン出身のフランス人女性が、「ブルカ禁止法」が人権侵害であるとしてフランス政府を欧州人権裁判所へ提訴。 2014年 - 7月1日、欧州人権裁判所はライシテ法を支持する判決を下す。 2015年 - 1月7日、イスラム過激派によるシャルリー・エブド襲撃事件が発生。1月13日、マニュエル・ヴァルス首相は「テロとの戦争」を宣言すると同時に、「ライシテと表現の自由のために戦う」と述べた。 11月13日、イスラム過激派によるパリ同時多発テロ事件が発生。 2016年 - 7月14日、ニース市でトラックテロ事件が発生。7月下旬、カンヌ市、ニース市をはじめとする約30の沿岸部自治体が、ライシテを理由に「ブルキニ禁止令」を出す。 8月26日、国務院がヴィルヌーヴ=ルベ市の「ブルキニ禁止令」に対して、「基本的自由を侵害する深刻かつ明白な違法行為」と認定し、凍結判断を下す。これに対して各自治体は反発し、禁止措置を継続することを表明。 国連はこの判断を歓迎し、イスラム団体も「良識の勝利」と讃える。 8月29日、マニュエル・ヴァルス首相は講演で「ベールで覆うよりも胸をあらわにする方がよりフランスの精神にふさわしい」と禁止措置を擁護。なお、胸をはだけたマリアンヌ像は「母性」の象徴であり、「自由な女性」像からは程遠いという意見もある。 来春の大統領選に立候補を表明したニコラ・サルコジ前大統領が、「当選した場合、ブルキニの着用を全国規模で禁止する」と表明。 マクロン政権 2017年12月、マクロン政権下で初めて男女平等担当副大臣マルレーヌ・シアパが積極的なライシテ支持を表明。『無条件のライシテ (Laïcité, point !)』を著す。 2018年4月9日、エマニュエル・マクロン大統領がフランス司教協議会での演説で「カトリック教会と国家の絆を修復する」と述べ、ライックな左派から批判が殺到。生殖補助医療の規制緩和を勧める上で、オランド政権下での同性婚の合法化 (2013年) 以来悪化していたカトリックとの関係の修復を狙ったものと見られている。
※この「第五共和政期(1958年-)」の解説は、「ライシテ」の解説の一部です。
「第五共和政期(1958年-)」を含む「ライシテ」の記事については、「ライシテ」の概要を参照ください。
- 第五共和政期のページへのリンク