第五共和国(全斗煥政権)時代の政党体制
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「韓国における政党史」の記事における「第五共和国(全斗煥政権)時代の政党体制」の解説
朴大統領暗殺後、緊急措置が解除され金大中を初めとする政治犯の釈放、公民権回復などつかの間の政治的自由いわゆる「ソウルの春」が訪れた。その最中、金泳三(新民党総裁)、金大中(在野民主化運動家)、金鍾泌(共和党総裁)の所謂「3金」が政治の主役に躍り出て、ポスト維新後の主導権争いを展開、新民党は金泳三支持派と金大中支持派によって事実上の分裂状態に陥った。こうして政局が混迷する最中、前年12月の粛軍クーデターで軍を掌握した全斗煥をリーダーとする新軍部が1980年5月、非常戒厳令拡大措置によって政治の実権をも掌握し、再び軍政へと逆戻りすることになった。
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