第七次多号作戦・クーパー撃沈とは? わかりやすく解説

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第七次多号作戦・クーパー撃沈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 23:58 UTC 版)

竹 (松型駆逐艦)」の記事における「第七次多号作戦・クーパー撃沈」の解説

クーパー (駆逐艦)」も参照 第六多号作戦予想上の成功おさめたので、日本軍第七多号作戦実施した第七多号作戦部隊は、第一梯団第二梯団第三梯団第四梯団わかれていた。本艦第七多号作戦において松型駆逐艦5番艦「」(駆逐艦長山下正中佐海兵53期)の指揮下に入った12月1日午後6時駆逐艦2隻(、竹)、第9号輸送艦、第140号輸送艦、第159輸送艦という第三梯団/第四梯団マニラ出撃した。「竹」には方面軍作戦参謀田中光少佐数名陸軍将校乗艦していたという。マニラ湾口で船団部隊陸軍潜水艦マルゆ)と遭遇した12月2日昼間、敵小数機に触接されたが、空襲はなかった。航行中酸素魚雷点検および訓練時の事故により魚雷1本を投棄、「竹」の残魚雷3本となったこの頃になると、アメリカ軍妨害のためにレイテから魚雷艇隊をはるばるオルモック方面派遣するようになっており、11月28日夜半オルモック襲撃成功するなど戦果挙げていた。第7艦隊司令官トーマス・C・キンケイド中将は、続いてオルモック方面駆逐艦掃海艇派遣することとし、これも過去二度作戦日本軍潜水艦小型貨物船破壊する戦果挙げていた。そして、三度目作戦 としてアレン・M・サムナー (USS Allen M. Sumner, DD-692)、モール (USS Moale, DD-693) そしてクーパー (USS Cooper, DD-695) がオルモック湾差し向けられ事となったのであるアレン・M・サムナーモールおよびクーパーの第120駆逐群(ジョン・C・ザーム大佐) は18時30分レイテ湾出撃し、オルモック湾急行した出撃して間もなくセブから飛来してきた戦闘八〇四飛行隊月光第一四一航空隊瑞雲水上爆撃機)に付きまとわれ爆撃機銃掃射によりモールは2名の戦死者22名の負傷者出したまた、アレン・M・サムナーおよびモール船体にも若干損傷生じた12月2日夜、船団オルモック湾到着して揚陸開始した大発輸送艦陸上往復して物資揚陸させている頃、「竹」には第三次多号作戦沈没した島風の上井宏艦長海兵51期)や機関長上村大尉第二水雷戦隊松原三郎先任参謀海兵52期)などが収容されていた。その後、「竹」は南西方向の、「」は南方哨戒開始した。「」が担当していた南方海上では第120駆逐群がオルモック湾入りつつあり、ザーム大佐日本側の雷撃警戒して、艦を横に広がらせた横陣隊形湾内入っていった。オルモック湾入った120駆逐群は11,000メートル先の目標狙い、まずクーパー砲撃開始した。この時までに「」も第120駆逐群を発見し発光信号敵艦発見を「竹」に知らせた。「」側は敵戦力軽巡洋艦3隻と判断照射砲撃魚雷戦を開始した12月3日午前0時30分頃より交戦がはじまる。最初交戦はおよそ9分で決着がつき、駆逐艦主砲多数被弾した「」は沈没した。第120駆逐群は次の目標を「竹」と定めモールアレン・M・サムナークーパー順番砲撃開始した。「竹」は12.7cm 高角砲25mm 機銃酸素魚雷で「敵巡洋艦駆逐艦誤認)」に反撃行ったオルモック湾内を24ノット航行機動するため、座礁懸念しながら戦闘おこなった最初雷撃態勢は、宇那木艦長砲撃による閃光で目がくらみ、また電気機器故障により発射機会逃した二度目機会得て魚雷2本を発射する四番連管起動弁の故障発射できなかった。「竹」の水雷長志博大尉(海兵68期)が双眼鏡で第120駆逐群を観測していたが、やがて視界内の左端にいた駆逐艦大きな火柱吹き上げるのを目撃した魚雷クーパー右舷命中し船体V字折られクーパーは1分以内沈没したこの後、「竹」は修理終わった四番連管から魚雷1本を単独発射したが、こちらは命中しなかった。一方モールは「竹」の前部機械室命中弾を与えた負傷者1名)。不発だったが浸水のため右舷1軸運転となり、「竹」は最大左舷30度も傾いた。しかし、「竹」もモール高角砲弾を複数命中させた。クーパー轟沈を「潜水艦からの雷撃」と錯覚していた米駆逐艦2隻(モールサムナー)は戦場から避退した。これ以上戦闘行われなかった。 やがて第9号輸送艦から揚陸完了報告を受け、缶に使用する真水在庫が底を尽こうとしていた「竹」は30度傾いた状態のまま、第9号輸送艦から真水供給受けた同時に二水参謀第9号輸送艦移乗した。夜明けまで残2時間となった時、第140号輸送艦および第159輸送艦からも揚陸完了報告受けた「竹」は、第140号輸送艦および第159輸送艦先発させる。宇那木艦長オルモック陸上部隊に「」の生存者救助要請した12月3日3時第9号輸送艦率いてオルモック湾出発。「」の生存者救助は、「竹」が中破して片舷航行の上サーチライト使わず作業する事の難しさや、日が昇ってからの空襲避けることを考慮して断念された。海面生存者通り過ぎる「竹」に救助要請したが、竹側は「大発動艇がくるから頑張れ」と返答して過ぎ去った。すると最後尾輸送艦反転し生存者8名を収容した。また生存者一部カッターボート上陸現地海軍陸戦隊合流した途中で傾斜回復させた「竹」は12月4日午後マニラ帰投した。マニラでは姉妹艦3隻()が第八多号作戦出撃準備をおこなっており、「」では満身創痍の「竹」をみて作戦困難さ悟ったという。マニラ港では、曾爾少将輸送戦隊司令官)が桟橋まで出迎え、宇那木艦長握手交わした続いて宇那木艦長南西方面艦隊司令長官大川内傳七中将海兵37期)から賞詞を受け、さらに差し向かい夕食馳走になった。宇那木艦長は後に、クーパー撃沈戦いを「オルモック夜戦」と呼ぶ事を提唱したまた、宇那木艦長が、収容した便乗者の中に島風」や第二水雷戦隊関係者の名前があることを知ったのは、1968年昭和43年)のことだった。なお、クーパー撃沈日本駆逐艦雷撃によって敵艦撃沈した最後となった12月5日から14日まで応急修理行ったが、機関修復できなかったために船速が上がらず、このことから作戦への再投入免れて佐世保での回航修理が命ぜられた。

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