武士の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:29 UTC 版)
鎌倉時代になると、武士が台頭し、再び獣肉に対する禁忌が薄まった。武士は狩で得たウサギ、猪、鹿、クマ、狸などの鳥獣を食べた。鎌倉時代の当初は公卿は禁忌を続けており、『百錬抄』の1236年(嘉禎2年)の条には武士が寺院で鹿肉を食べて公卿を怒らせる場面が出てくる。しかし時代が下ると公卿も密かに獣肉を食べるようになり、『明月記』の1227年(安貞元年)の条には公卿が兎やイノシシを食べたとの噂話が載せられている。乳製品は以後明治までほぼ食べられなくなった。12世紀後半の『粉河寺縁起絵巻』には、肉をほおばり、干肉を作る猟師の家族が描かれている。一方で神社の物忌み期間中の獣食は厳しくなり、平安時代には禁止されていなかった鹿や猪肉までもが禁令に含まれ、その期間も数十日程度にまで長くなっている。 当時は末法思想が流行し、鎌倉新仏教が勃興しつつあった。法然は自身の肉食は忌避してはいたものの、肉食をしても念仏を唱えれば救われると説いた。法然の弟子の親鸞は「肉食妻帯」伝説で知られ、『口伝鈔』よると、幼少期の北条時頼の前で僧の象徴である袈裟を着たまま魚を食べたと記されている。日蓮は自身が肉食した記録は乏しいが、「末法無戒」を唱えた。対して禅宗の影響で、動物性の材料を一切用いない精進料理も発達した。精進料理は単なる植物食ではなく、「猪羹」など獣食に見立てた料理もあった。 南北朝時代の『異制庭訓往来』には、珍味として熊掌、狸沢渡、猿木取などの獣掌や、豕焼皮(脂肪付きのイノシシの皮)を焼いたものなどが掲載されており、『尺素往来』には武士がイノシシ、シカ、カモシカ、クマ、ウサギ、タヌキ、カワウソなどを食べていたことが記されている。医学も進歩して『拾芥抄』には2月のウサギ、9月の猪肉を食べないように記載されている。僧侶もひそかに肉食をするようになり、特にウサギは鳥と同様の扱いになって、『嘉元記』の1361年(南朝:正平16年、北朝:康安元年)の饗宴記録にもウサギ肉について記載されている。 たぬき汁が登場する「かちかち山」が成立したのは室町時代後期といわれるが、その時代の料理書「大草家料理書」にはタヌキを蒸し焼きにした後に鍋で煮る「むじな汁」のレシピが記されている。当時の評価では同じく肉食対象だったアナグマと比較して、タヌキ料理は不味かったという。
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