指名投票とは? わかりやすく解説

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しめい‐とうひょう〔‐トウヘウ〕【指名投票】

読み方:しめいとうひょう

総理大臣大統領などを選出するとき、まずその候補者決定するために行う投票


指名投票

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 03:15 UTC 版)

1880年共和党全国大会」の記事における「指名投票」の解説

月曜日の朝10時大会議長ホア小槌叩いて開会告げた。ユージーン・ヘイルが即座に大統領候補の指名投票に進むという動議出し、ロスコー・コンクリングがその動議支持した新聞では投票の結果予測しており、代議員達は勝者確定するまでに何度も投票を行うことになると分かっていた。投票点呼の間に、イリノイ州ジョン・A・ローガンが、自分の州は代議員42人であり、そのうち24人のみがグラント支持する宣言して会場驚かせた。ローガン以前グラント支持派宣伝してたように固まって」はいないということだった。ニューヨーク州同様な状況にあった70人の代議員の中で51人がグラント支持し17人はブレイン残り2人シャーマンだった。ペンシルベニア州はさらに悪く58人の代議員のうち、32人のみがグラント支持となっていた。 すべての州が態度表明し集計が行われた。グラント304票、ブレイン284票、シャーマン93票を得ており、バーモント州の上院議ジョージ・E・エドマンズが23票、グラント政権駐フランス大使務めたエリフ・B・ウォッシュバーン30票、ミネソタ州上院議員ウィリアム・ウィンダム10票という結果だった。「トリアンビレイト」のいる州の中では、60人の代議員グラント支持していなかった。どの候補者指名必要な379票に達していなかったので、その日は投票続いたワシントンD.C.では、ブレインシャーマン第1回投票結果聞いて失望していた。ブレイン1回目300近辺予測すべきと言われていたが、それよりも16足りず1876年第1回投票得た数字よりも1票少なかったシャーマンは110票と予測されていた。つまりブレイングラント予測される票数よりもかなり少なかった。しかし、シャーマングラントの票が割れたとすれば指名に至る可能性があると考えていた。シャーマン第1回投票結果聞いた後で、「投票幾らか投票が始まる前に自分から逃げて行った」ことに明らかに怒り始めていた。オハイオ州代議員のうち9人が自分から逃げてブレイン投票したことに動揺していた。シャーマンブレインが「虚偽冷笑背信という(手段)」でオハイオ州代議員を寝返らせたことを非難したイリノイ州ガリーナでは、第1回投票結果告げられてもグラントいかなる感情あらわさなかった。ある新聞記者が「黙した軍人いつもの平静さ葉巻くゆらせていた」と報告していた。グラントの妻、ジュリア膠着状態予測し、夫にシカゴ訪問して代議員達を驚かせてはと提案したグラントはそれが不運としつけの悪さという印象与えるので、賢明ではないと考えた。妻はグラントの心を変えさせようとしたが、グラント決めたことに拘ったままだった。 こうしている間にも大会代議員達は、勝者決するまで投票繰り返していた。その日2回目投票で、W・A・グライアというペンシルベニア州代議員ジェームズ・ガーフィールド投票した。しかし、その日大半ガーフィールド対す支持その1票のままだった。夕食休憩までに18回の投票が行われた。夕食後にさらに10回の投票行った。それでも勝利必要な379票に近づいた候補者は居なかった。投票12時続いた後、マサチューセッツ州代議員ウィリアム・ラバリングがその日は休会にする動議出したグラント派の代議員数人反対したが、休会動議賛成446票、反対308票で可決された。28回の投票終わりグラント307票、ブレイン279票、シャーマン91票であり、残りウィリアム・ウィンダムジョージ・F・エドマンズのような特定出身候補者割れた。 「ダークホース」の候補者導入するという提案起こり始めていた。各候補者後押しする者達は同程度指名獲得する決めていたが、投票の場に新し代議員投入されなければ膠着状態破れない考えた者もいた。シャーマンブレイン支持者休会になった後に会合持ったチャンドラーがその考え説明したブレイン300近く得ており、単純に指名争いから降りるわけにはいかなかった。チャンドラー説明では、「ブレインがその支持者自由に投票させたとしても、アイオワ州カンザス州ネバダ州カリフォルニア州オレゴン州の票と準州12票は、グラントに行くだろう。また南部州の票も同様だ」と予想していた。両陣営は朝の2時あるいは3時まで協議したが、何も決まらなかった。その夜グラント派の指導者達はグランド・パシフィック・ホテルのロスコー・コンクリングのスイートルーム集まっていた。彼らは3期目抵抗する者など、グラント指名障害となる因子議論した多くの者がグラント指名受けないことになると予測したグラント支持者達は他の2人候補者のことを検討してどちらも受け入れられないことで合意した。コンクリング自身グラント代わりに立つべきと要求する者もいた。グラント外した場合に、コンクリングは共和党公認を得るためにあまり抵抗されないと論じていた。しかし、コンクリングは大統領候補指名されるという考え受け入れられなかった。 大会で私が他の票を全て受けたとしても、私自身の票が欠けており、私は自分投票しない。私は最後までグラント将軍支持するニューヨーク州代理人としてここにいる。このような条件下で彼のために来た者は選出される値しないだろうし、選出されるきでない6月8日火曜日朝の第1回投票結果2つ変化があった。マサチューセッツ州がその21票をジョージ・エドマンズ上院議員からジョン・シャーマン乗り換えシャーマン116となってそれまでの最高となったウィリアム・チャンドラーミネソタ州代議員のうち3人を、同州出身ウィリアム・ウィンダムからジェイムズ・G・ブレイン切り替えさせた。32回目投票では、ブレイン前夜比べて6票落としグラント309票に増えていた。票の動き比較小さかったが、コンクリングは「ニューヨーク州代議員団はグラント午後1時までに指名獲得する主張する」と自信ありげに語った33回目投票で、ウィスコンシン州代議員団の9票がグラントからエリフ・ウォッシュバーンに移った次の投票では、ウィスコンシン州20票のうち16票がジェームズ・ガーフィールド支持変わったガーフィールド即座にホア議長に、規則問題投げかけた。自分同意なければ得票すべきではないと主張して発表正確さ異議」を提出したホアガーフィールド異議却下しホア規則1点だけで大統領候補消されるのを見たくなかった、すなわちガーフィールド候補指名される機運消したくなかったので、ガーフィールド異議却下したと、後に語っていた。その時投票ではグラント312票、ブレイン275票、シャーマン107票、ガーフィールド17票だった。35回目投票では、インディアナ州ベンジャミン・ハリソンが自州の27票(大半ブレイン支持だった)をガーフィールドに移すと発表したメリーランド州代議員4人とミシシッピ州ノースカロライナ州1人ガーフィールド支持切り替え合計50になったブレイン指名を得る確率落ちて行っていると見ており、ブレイン踏みとどまらせようと来ていた訪問者に対して、「低落する市場カード浪費する」必要はないとコメントしていた。それはブレインに会うためにその客が訪問カード出していたが、その会見生産的なものにならないという意味だった。 ブレインは最も適した候補者ジェームズ・ガーフィールドだと感じ取っていた。ガーフィールド親友であり、ガーフィールド支持することでグラントとコンクリングを破ることができ、さらにガーフィールド政権役職指名されることもあると考えた同様にシャーマン仲間からの助言聞いており、自分への支持ガーフィールドに向ける決断をし、「共和党を救う」と言った両人はその支持者達にガーフィールド指名支持するよう伝えた36回目投票で、ガーフィールド399票を獲得しグラントより93多く共和党公認候補指名獲得したブレイン42票、ウォッシュバーンが5票、ジョン・シャーマンが3票、残り泡まつ候補分かれたガーフィールド指名得た後の圧倒されるような感動中にあったので、「インター・オーシャン」の記者が「死んでいるように青ざめ友人から祝福言葉投げかけられても半分意識に無いように見えた」と報道していた。大会数千人々ガーフィールドの名前を唱え、後には『自由の喊声』の斉唱加わったので、狂乱様相呈していた。ロスコー・コンクリングなどグラントの支持者達は「むっつりした顔で」見ているだけであり、「その落胆の色を隠さなかった」。コンクリングは、全投票通じて306人の代議員グラント支持を崩さなかったことを誇り思った。コンクリングはグラントの支持と共に306人の衛兵協会作った。この協会毎年晩餐会開き、「古い衛兵」と彫られ記念コイン発行すらしている。 その後ホア議長小槌叩きジェームズ・A・ガーフィールドオハイオ州アメリカ合衆国大統領候補指名する」と宣言したガーフィールドは妻に宛てた手紙で、「もしこの結果貴女承認得られるならば、(指名に)満足するきだろう」と記した。妻のルクレティアは夫が指名されたことに感動し承認与えたその後ガーフィールド1881年に始まる任期選ばれていたアメリカ合衆国上院議員の職を辞しオハイオ州議会代役シャーマン選出したガーフィールド支持したオハイオ州代議員団は、ニューヨーク州のストールワート派を、ガーフィールド副大統領候補臨んだ。これにはコングリングを宥める意味もあり、また出身州の地域的バランス考慮された。リーヴァイ・モートン副大統領候補になることについてコンクリングに相談したが、コンクリングはグラント落選したことでその時不満な状態であり、モートン出馬しないよう助言したので、モートン辞退した。ロスコー・コンクリングとの結びつきが強いチェスター・A・アーサー推薦された。コンクリングはアーサーにも受け付けないよう説得しようとしたが、アーサー副大統領を「今まで得られるとは夢見たともないような栄誉」であると言って推薦を受けることにした。アーサーは指名投票で468票を獲得した次点はエリフ・ウォッシュバーンの193票、続いてマーシャル・ジュウェル44票だった。元テキサス州知事エドマンド・J・デイビス副大統領候補挙がっていたが、ほとんど支持無かった大会議長マサチューセッツ州のジョージ・フリスビー・ホアが、6月8日午後7時25分小槌叩きそれまで最長共和党全国大会閉会となった大統領候補指名投票 投票回数1回目2回目3回目4回目5回目6回目7回目8回目9回目10回目11回目12回目13回目14回目15回目16回目17回目18回目19回目20回目ユリシーズ・グラント304305305305--305306308305305304305305309306303305305308ジェイムズ・G・ブレイン284282282281--281284282282281283285285281283284283279276ジョン・シャーマン93949395--9491909293928989888890919693ジョージ・F・エドマンズ34323232--3231313131313131313131313131エリフ・B・ウォッシュバーン30313131--3132323232333335363636353235ウィリアム・ウィンダム10101010--1010101010101010101010101010ジェームズ・ガーフィールド0111--21222110000011ベンジャミン・ハリソン0010--00000000000000ラザフォード・ヘイズ0000--00011100000000ジョージ・ワシントン・マクラリー0000--00000010000000エドマンド・J・デイビス0000--00000000001000ジョン・ハートランフト00000000000000000011大統領候補指名投票 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※この「指名投票」の解説は、「1880年共和党全国大会」の解説の一部です。
「指名投票」を含む「1880年共和党全国大会」の記事については、「1880年共和党全国大会」の概要を参照ください。

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