大学沿革
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ウィキソースに京城帝國大學ニ關スル件の原文があります。 1924年(大正13年)に予科を設置し、1926年(大正15年)に法文学部・医学部の各学部が設置されて大学レベルの教育体制が整った。所在地は、鍾路区大学路(旧:京城府東崇町。予科は清涼里)。 1929年(昭和4年)から大規模な水力発電所が鴨緑江とその支流に造られ、1930年代の朝鮮は工業化が急速に進んだこと、また、1931年(昭和6年)の満洲事変と1932年(昭和7年)の満洲国設立により、資源が豊富な満洲での工業化が見込まれたことなどから、高度な技術を持つ人材の需要が高まり、その供給源として1941年(昭和16年)には理工学部が設置された。 城大の教授陣は東京帝国大学卒を中心としており、他の帝国大学の設立期と似ている。日本語で専門教育の講義がなされる城大では、入学者は予め日本語での普通教育が必要であり、支那事変(日中戦争)勃発(1937年)後には「第三次朝鮮教育令」が公布(1938年)され、「内鮮教育の一元化」が唱えられた。しかし、1942年(昭和17年)の朝鮮人の就学率は55%、日本語普及率は20%に留まり、城大でも医学部における1930年(昭和5年)の第1期卒業生が日本人43人と朝鮮人12人、城大全体では1937年(昭和12年)の日本人学生と朝鮮人学生の比率が70.2%と29.8%、1942年(昭和17年)のそれが60.4%と39.6%と、朝鮮人学生が過半を占めるに至らなかった。 1924年(大正13年)5月 - 朝鮮総督府所管の帝国大学として設立。大学予科(修業年限2年)を設置。 1926年(大正15年)5月 - 法文学部・医学部設置。法文学部は憲法・行政法/民法・民事訴訟法/刑法・刑事訴訟法/経済学/政治学・政治史/羅馬法/哲学・哲学史/支那哲学/倫理学/心理学/宗教学・宗教史/美学・美術史/教育学/社会学/国史学/朝鮮史学/東洋史学/国語学・国文学/朝鮮語学・朝鮮文学/支那語学・支那文学/外国語学・外国文学の各講座を設置。 医学部は解剖学・生理学・医化学・薬物学・病理学・微生物学の各講座を設置。 1934年(昭和9年)- 予科の修業年限を3年に延長。 1938年(昭和13年)- 理工学部の予科生が入学。 1941年(昭和16年)- 理工学部設置。 1941年(昭和16年)10月 - 授業年限の短縮令。太平洋戦争開戦で短縮期間は延長。 1942年(昭和17年)5月 - 高地療養研究所を附置。 1945年(昭和20年)6月 - 大陸資源科学研究所を附置。
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大学沿革
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2006年11月 - 環太平洋大学の設置認可体育学部(定員400名)、次世代教育学部(定員800名)、次世代教育学部通信教育課程(定員2,000名)を設置。 2007年4月 - 環太平洋大学が開学(体育学部、次世代教育学部)。大橋博初代学長が就任。 2010年4月 - 梶田叡一第2代学長が就任。 2011年4月 - グローバルスタディセンター(留学生別科)を設置(定員200名)。 2012年4月 - 次世代教育学部に国際教育学科(定員400名)、体育学部に健康科学科(定員240名)を設置。体育学部体育学科の収容定員増(定員560名)。 次世代教育学部の幼児教育学科をこども発達学科(320名)に、学級経営学科を教育経営学科(480名)に名称及び定員変更。 学級経営学科(通信教育課程)を教育経営学科(通信教育課程)に名称変更。中原忠男第3代学長が就任。 2013年4月 - 環太平洋大学附属国際科学・教育研究所を神奈川県横浜市のみなとみらい地区に開設。 2015年4月 体育学部体育学科の収容定員増(800名)。 2016年4月 - 経営学部現代経営学科(定員900名)を設置。大橋節子第4代学長が就任。 2018年4月 - 体育学部体育学科の収容定員増(1,200名)。
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大学沿革
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1954年 - 福岡高等無線電信学校を創設 1958年 - 学校法人福岡電波学園福岡電波高等学校を開設 1960年 - 福岡電子工業短期大学を開設 1963年 - 福岡電波学園電子工業大学工学部を開設 1966年 - 大学の名称を福岡工業大学に変更 1966年 短期大学の名称を福岡工業短期大学に変更 1973年 - 学校法人の名称を福岡工業大学に変更 1993年 - 大学院工学研究科修士課程開設 1997年 - 大学に情報工学部開設 情報工学科・情報通信工学科・情報システム工学科・管理情報工学科(工学部、情報工学科・管理工学科を改組) 1998年 - 大学工学部/電子材料工学科の名称を機能材料工学科に変更 1999年 - α棟完成/大学院工学研究科博士後期課程開設(物質生産システム工学専攻・知能情報システム工学専攻)。/大学工学部・電子機械工学科の名称を知能機械工学科に変更 2000年 - FITアリーナ(新体育館)完成 2001年 - 社会環境学部/社会環境学科開設。工学部・社会環境学部校舎A棟完成 2002年 - 大学工学部/電子工学科の名称を電子情報工学科に変更。大学院/電子材料工学専攻の名称を機能材料工学専攻に変更。短期大学の名称を福岡工業大学短期大学部に変更 2003年 - 大学院/電子機械工学専攻の名称を知能機械工学専攻に変更 2004年 - 大学情報工学部/管理情報工学科の名称をシステムマネジメント学科に変更。大学院/修士課程に情報通信工学専攻開設。D棟完成 2005年 - 大学工学部/機能材料工学科の名称を生命環境科学科に変更 2006年 - 大学院/電子工学専攻の名称を電子情報工学専攻に変更 2007年 - 大学院/社会環境学研究科修士課程開設 2008年 - 本校を事務局に国公私立四大学コンソーシアム福岡開設(大学院教育研究) 2011年 - FITホール完成 2012年 - 塩浜総合グラウンド(FITスタジアム)完成 2016年 - E棟完成/芝浦工業大学と連携協定を提携 2017年 - F棟完成 2018年 - 大学工学部/生命環境科学科の名称を生命環境化学科に変更/総合研究機構エレクトロニクス研究所に食品農医薬品研究センター設置
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