外丹
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神仙への憧れは様々な伝説を生み、『列仙伝』や『神仙伝』といった仙人の伝承が生まれた。仙人になるための修行理論や方法は葛洪の『抱朴子』に整理されている。葛洪は、人は学んで仙人になることができると主張し、そのための方法として行気(呼吸法)や導引、守一(身体の「一」を守り育てること)などを挙げる。葛洪が特に重視するのは「還丹」(硫化水素からなる鉱物を熟して作ったもの)と「金液」(金を液状にしたもの)の服用である。このように、金石草木を調合して不老不死の薬物を錬成することを「外丹」(練丹術、金丹)と呼ぶ。葛洪は、神仙になる方法を知りながらも経済的理由で必要な金属や鉱物を入手できないため実践に至らないとも述べている。 実際には、水銀化合物を含む丹薬は毒薬であり、唐代には丹薬の服用による中毒で死に至った皇帝が何人も出た。煉丹術の研究は丹砂や鉛といった鉱物に対する科学的知識を多く蓄積し、唐代の道士が煉丹の過程で事故を起こしたことがきっかけとなって火薬の発明に至った。また、道士は中毒死を防ぐために医学について研究したため、漢方医学の発展を促し、煉丹術の成果は医学に吸収されて外科の薬物として用いられている。 宋代以後は、金丹といった「外物」(自己の身体の外にある物質)の力を借りるのではなく、修練によって自己の体内に丹を作り出すという「内丹」の法が盛んになることとなり、外丹は下火になった。
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外丹
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外丹術は金石草木を服用する「服食」と呼ばれる古代の神仙方術のひとつの発展形である。『神農本草経』は中国最古の医薬書とされるが本来の目的は仙薬を求めることにあった。初期は草木中心の仙薬であったが、次第に鉱物から人工的に合成したものを不老不死の丹薬として重視するようになり「外丹術」が発展していった。煉丹の主な方法には、原料の鉱物を釜の中で加熱する「火法」と鉱物を水溶液や懸濁液にする「水法」とがある。典型的な金丹の製造法は「丹砂」(硫化水銀)、「汞」(水銀)、「鉛」などの薬物を調合して鼎炉にて火にかけて焼煉するものである。煉丹術ないしその萌芽は漢代に登場し、『抱朴子』(zh)を著した西晋・東晋の葛洪らによって金丹道として確立し、他の神仙方術とともにいつしか道教の一部とみなされるようになった。 卑金属を貴金属に変える力を持つ不老不死の霊薬「エリクサー(賢者の石)」の製造などを目的とする西洋の錬金術とは共通する部分も多いが、西洋の錬金術がどちらかというと金を作ることを主目的としていたのに対し、煉丹術は昇仙と不老不死を主目的とする点が異なる。 『抱朴子』内篇の「金丹篇」は、黄金は火中にて何度錬り鍛えても消えず、土中にても腐食することなく、その不朽性をもって人を不老不死にすることができると述べている(黃金入火 百煉不消 埋之 畢天不朽 服此二物 煉人身體 故能令人不老不死)。通常の金は「生金」と呼ばれ、有毒とされた。煉丹術で作られる金は「薬金」と称される黄色い合金で、鉛の化合物とも銅の合金とも言われる。卑金属から金銀(のような合金)を製する技術は「黄白術」と称される。『抱朴子』内篇の「黄白篇」に説かれているものがそれである。金(または薬金)を液体化した「金液」は金丹と並び称された仙薬である。金を溶かすには水銀(アマルガム参照)か、もしくは青酸を含む覆盆子(トックリイチゴ)の未成熟果実が用いられたと考えられている。 辰砂から作られた薬を服用して不死を求めるという発想が生まれた背景には、辰砂は鮮やかな赤褐色を示すため、その色が血液につながるという思想があったものと思われる。葛洪は『抱朴子』「金丹篇」で、丹砂を加熱すると硫化水銀が還元されて水銀を生じ、水銀に硫黄を反応させるとまた丹砂に還るという循環的過程に永遠性を見出し、これを不老不死と結びつけている。なお、水銀が丹砂に還ると葛洪が述べているのは、丹砂に似た色を呈する酸化水銀(II)への変化とも言われる。酸化水銀(II)は、水銀を空気中で沸点近くまで熱することにより得られ、これをさらに高い温度まで加熱すると水銀と酸素に分解する。古人にはこの過程が、丹砂が水銀へ、水銀が丹砂へと何度でも変化し、元に戻るかのように観察されたと考えられる。 後漢の人とも三国呉の人とも言われる魏伯陽(中国語版)の『周易参同契』は、汞(水銀)と鉛の配合を煉丹の基本とした。この外丹書は易理を用い、陰陽五行の複合的シンボリズムに基づくさまざまな隠語で煉丹の材料や過程を表現している。「鉛汞」といえば煉丹術の代名詞となり、鉛汞を表す青龍・白虎といった術語は後の内丹術に引き継がれた。『周易参同契』は五代・北宋の頃から内丹道の古典とみなされるようになり、内丹の観点から解釈した注釈書がいくつも作られた。幸田露伴のエッセイ「仙書参同契」も、同書を内丹の書とする注釈書に沿った理解に立脚しており、現代の研究者が本来の外丹書として論じるようになったのは比較的近年のことである。 金丹には水銀化合物や砒素化合物が含まれ、強い毒性があったと考えられる。煉丹家たちはそれを火毒と呼んで恐れた。煉丹術の流行により水銀や水銀化合物を服用して逆に命を縮める人が後を絶たなかった。少なくとも6人の唐の皇帝が水銀中毒で死亡したことが清代の趙翼の著『二十二史箚記』巻19新旧唐書 唐諸帝多餌丹薬に述べられている。不老不死を望んでいた秦の始皇帝もそれによって死期を早めたという説もある。こうしたこともあってか、宋代には鉱物性の丹薬を作る外丹術は衰退し、唐代より次第に重んじられるようになった内丹術が主流となった。明代には人の排泄物や経血より不老長生の薬を製する人元の丹法が外丹の一種として流行した。
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