凱旋門賞とは? わかりやすく解説

がいせんもん‐しょう〔‐シヤウ〕【×凱旋門賞】


凱旋門賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 13:57 UTC 版)

凱旋門賞(がいせんもんしょう、フランス語: Prix de l'Arc de Triomphe)は、フランスパリロンシャン競馬場(改修工事の際は、シャンティイ競馬場)で毎年10月の第1日曜日に開催される競馬重賞G1競走である。距離は2400m。ヨーロッパ最大の競走の一つで、国際的に著名なスポーツ催しである。


注釈

  1. ^ "The Arc is the race to win in France. Every trainer wants to win it" - BBCスポーツ
  2. ^ 「国際的にもこの競走の勝馬からは最高の繁殖馬が続出したので、サラブレッドの最高の競走として認知されるに至った」[1]
  3. ^ 年間レースレーティングは、個々のレースにおける上位4頭のレーティングを年度末のランキング会議で決定した数値に置き換え算出した平均値。なお、牝馬限定競走以外のレースで、対象馬が牝馬の場合はアローワンスが加算される(日本の場合+4ポンド)。
  4. ^ 一般に、競馬の競走は距離別にスプリント(1200メートル前後)、マイル(1600メートル前後)、中距離(2000メートル前後)、長距離(2400メートル前後)、超長距離(これ以上)の5種類に大別されている。
  5. ^ "Europe's final big championship race of the season" - BBCスポーツHP
  6. ^ "one of the biggest races in the European calendar" - レーシングポスト誌HP
  7. ^ "The decline of the Prix de l'Arc de Triomphe, Europe's greatest race" - CNNスポーツHP
  8. ^ この距離はヤード・ポンド法では1マイル半(12ハロン)に相当し、英国ダービーをはじめヨーロッパで重要な距離とされてきた。現代の基準では「長距離」に分類され、「クラシック・ディスタンス」や「選手権距離」などとも呼ばれている。
  9. ^ a b 例外として、1943〜1944年はドイツ軍占領下でロンシャン競馬場の開催が許可されなかったため、ル・トランブレー競馬場の2300メートルで行われた。
  10. ^ このため、1999年から始まったワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップに当初は参加できなかったが、2001年、本競走の主催元のフランスギャロや当時のスポンサーであるルシアン・バリエールの訴えにより、加入が認められた。なお、当シリーズは2006年に中止されて以降再開されていない。
  11. ^ a b 現在のワールド・ベスト・レースホース・ランキングにあたるインターナショナル・クラシフィケーションは当時存在しなかったが、イギリスの専門誌タイムフォームのレイティングで145ポンドを獲得。2012年にフランケル(Frankel)が147ポンドを獲得し、シーバードの記録を更新した。
  12. ^ インターナショナル・クラシフィケーション(現在のワールド・ベスト・レースホース・ランキング)により、当時の最高評価である141ポンドを与えられた。なお、2013年1月の見直しにより138ポンドに引き下げられ、同時にフランケル(140ポンド)に1位を奪われた。
  13. ^ イギリス人といっても国籍だけの話で、彼は生まれも育ちもフランスである。名目上の父親はイギリス人だが、実父はフランス人だった。一度もフランスを出ることなく生涯を送った。
  14. ^ 陸軍の演習で踏み固められるため、晴天では硬すぎ、雨天では泥沼となって、人馬にとって危険であった[8]
  15. ^ 1890年以前から春の敗者限定競走として「凱旋門賞」という名前の競走が行われていた。一方、秋のグラディアトゥール賞の開催日には「ナンテール賞」という敗者限定競走があったが、これが春に移動となって、従前の「凱旋門賞」のかわりとなった[9]
  16. ^ カムラッドはイギリス産のサラブレッドで、馬主もイギリス人の調教師ピーター・ギルピン英語版が兼ねていたが、2歳のときに所有権の半分をフランス人のエヴルモン・ド・サンタラリ英語版が購入している。したがって完全な意味での「外国からの遠征馬」とは言い難い。
  17. ^ この年のパリ大賞には、英国ダービーを制したスパイオンコップ(英語: Spion Kopが出走して人気を集めたが、スパイオンコップが各馬のマークを受けている間に、スパイオンコップと同厩馬で人気薄のカムラッドが逃げ切ってしまった[10]
  18. ^ イギリスダービー3着のレモノラ(英語: Lemonoraが優勝した。クサールは着外だった。このパリ大賞には欧州を訪問していた皇太子時代の昭和天皇が臨席している[11]
  19. ^ マンチェスターノベンバーハンデキャップ英語版の優勝馬ポムドテール (Pomme de Terre)。
  20. ^ ロイヤルハントカップの優勝馬で、倍率は約7倍だった。
  21. ^ パースは英国ダービー3着馬。馬主はフランス在住のアメリカ人A・キングスリー・マコーマー英語版だった。
  22. ^ ダービー卿は第1回にセントレジャー勝ち馬キーソー(英語: Keysoeなどを登録したが結局出走させず、6年目には英国ダービー馬サンソヴィーノ(英語: Sansovinoを登録したが凱旋門賞当日の4日前に取り消した。
  23. ^ 正確には、ブサックはもう1頭、ジョック(Jock)を出走させており、馬券は一人の馬主が複数の競走馬をエントリーした場合はこれをセットで発売(カップル)するため(馬主が八百長をやってわざと有力馬のほうを負けさせ、もう一方の馬券で不正に儲けるのを防ぐためである)、ジェベルとジョックのカップル馬券が1.8倍の1番人気となる。ジョックはジェベルほどではないものの、この年ロンシャンで開かれたドーヴィル大賞など5勝をあげていた。
  24. ^ ダービー卿の競馬業務責任者であるサンソヴール侯が名義を貸していた[13]
  25. ^ 正確には、ルパシャと同厩舎のマシノールがセットで1.8倍、ジェベルと同厩舎のティフィナールがセットで2.8倍。
  26. ^ たとえば競馬日刊紙のパリ・スポールは、従来のコラムをドイツ語で見出しが書かれた予想欄に変えたのだが、これが原因で戦後に廃刊となった[15]
  27. ^ この第1回キングジョージ6世ステークスはスヴレンが勝った。
  28. ^ 約20万フランの生産者賞を含む。
  29. ^ 登録料は文字通りレースに登録した馬が支払うもので、これを集めて賞金の一部とするものである。つまり、レースの直前になるまでその総額は確定しない。1949年の場合、最終的な1着賞金は2985万5000フランだった。
  30. ^ 故障やさまざな理由でこれらの多くは最終的には凱旋門賞には出走できなかった。1949年の凱旋門賞に出走した馬のうち、産地も調教地も外国というのは、結局アイルランドの二冠馬ボーサブルール(Beau Sabreur)とベルギーの二冠牝馬フリネット(Frinette)の2頭にとどまった。
  31. ^ この晩餐会はマルセル・ブサックによって企画された。イギリスのジムクラックステークスには、優勝馬の所有者が年末に開かれる「ジムクラックディナー」という晩餐会でスピーチをするという伝統があり、ジムクラックステークスを勝ったブサックはこの伝統に感銘を受け、これを模して凱旋門賞前夜に晩餐会を開くことを長年夢見ていたのである[20]
  32. ^ オワーズはこの年のイタリアの競走馬のなかでトップクラスにはいたものの、トップではなかった。オワーズのこの年の成績は、デルビーイタリアーノイタリア共和国大統領賞ミラノ大賞イタリアセントレジャー英語版の全てで2着というものだった。オワーズは現在では、後にヨーロッパを代表する大騎手となるレスター・ピゴットの凱旋門賞デビューの馬として知られている。
  33. ^ ズクロはレースの2日前にイギリスから飛行機でやってくることになっていたが、空港へ向かう馬運車が交通事故を起こすアクシデントがあった。幸いにしてズクロには大事なく、プリモニションとズクロを載せた飛行機が2時間出発が遅延するだけで済んだ。
  34. ^ ニーデルレンダーはドイツダービーのほか、ウニオンレンネンノルトライン・ヴェストファーレン大賞バーデン大賞に勝ち、ワシントンDCインターナショナルでも4着に好走していた。
  35. ^ この年のフランスダービーに勝ったシャマン(英語: Chamantは「戦後最も凡庸なフランスダービー馬の1頭」[23]とみなされていた。
  36. ^ ゴール前50メートルでミッドナイトサンがセントクレスピンに体当たりをして妨害していることが確認され、ミッドナイトサンは2着に降着となった。
  37. ^ この着差は1971年にミルリーフが6馬身差で勝つまで、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスにおける最大の着差だった。
  38. ^ 登録料を含めた1着賞金は約5000万フランとなった。
  39. ^ 「ヨーロッパとアメリカの主要な馬主が揃って最高の馬を出走させたのは、この競走の創設以来初めてのことだった」[29]
  40. ^ 36年後の2001年にサキー(Sakhee)がこれと同じ6馬身を記録した。
  41. ^ タイムフォーム社によるレイティングは1947年からである。
  42. ^ 凱旋門賞でニジンスキーに騎乗したのはレスター・ピゴット騎手だった。
  43. ^ 日本の種牡馬にもこの登録料を納めるものが数頭でた。
  44. ^ 2015年[40]、2017 - 2019年[41][42][43]、2021年[44]
  45. ^ "The decline of the Prix de l'Arc de Triomphe, Europe's greatest race" - CNNスポーツHP
  46. ^ 当時の日本では禁止薬物ではなかったが、後に日本でも禁止薬物になった。詳しくはディープインパクト禁止薬物検出事件参照。
  47. ^ その年の凱旋門賞出走馬からのジャパンカップ優勝馬としては1995年ランド、1997年ピルサドスキー、2002年ファルブラヴがいる。
  48. ^ セントクレスピンはインポテンツ、ダンシングブレーヴはマリー病だった。

出典

  1. ^ a b c フランス競馬百年史、p56
  2. ^ 凱旋門賞のフルゲートが20頭から24頭に拡大、昨年は3頭が除外スポーツニッポン、2023年5月10日配信・閲覧
  3. ^ Full Result 3.05 Chantilly (FR) | 2 October 2016 Racing Post 2017年10月4日閲覧
  4. ^ Full Result 3.05 Chantilly (FR) | 1 October 2017 Racing Post 2017年10月4日閲覧
  5. ^ 競馬の世界史、p66
  6. ^ 競馬の世界史、p103
  7. ^ 凱旋門賞の歴史 第一巻、p9
  8. ^ 華麗なるフランス競馬、p143
  9. ^ a b c 凱旋門賞の歴史 第一巻、p17
  10. ^ a b 凱旋門賞の歴史 第一巻、p21
  11. ^ Le Figaro, 27 juin 1921, p. 5/6” (フランス語). retronews.fr. フランス国立図書館. 2023年11月5日閲覧。
  12. ^ 凱旋門賞の歴史 第一巻、p160
  13. ^ a b 凱旋門賞の歴史 第一巻、p174
  14. ^ 凱旋門賞の歴史 第一巻、p192
  15. ^ フランス競馬百年史、p118
  16. ^ 凱旋門賞の歴史 第一巻、p218
  17. ^ 凱旋門賞の歴史 第一巻、p230
  18. ^ 凱旋門賞の歴史 第一巻、p264
  19. ^ 凱旋門賞の歴史 第一巻、p262
  20. ^ 凱旋門賞の歴史 第一巻、p274
  21. ^ a b 凱旋門賞の歴史 第一巻、p300
  22. ^ フランス競馬百年史、pp150-151
  23. ^ 凱旋門賞の歴史 第二巻、p25
  24. ^ フランス競馬百年史、p158
  25. ^ 凱旋門賞の歴史 第二巻、p29
  26. ^ 凱旋門賞の歴史 第二巻、p30
  27. ^ 凱旋門賞の歴史 第二巻、p72
  28. ^ 凱旋門賞の歴史 第二巻、p81
  29. ^ フランス競馬百年史、p200
  30. ^ 凱旋門賞の歴史 第三巻、p122
  31. ^ 凱旋門賞の歴史 第三巻、p142
  32. ^ Oakley, Robin (2021年9月18日). “My Arc de Triomphe tips” (英語). The Spectator. 2023年2月17日閲覧。
  33. ^ 凱旋門賞の歴史 第三巻、p143
  34. ^ 凱旋門賞の歴史 第三巻、p205
  35. ^ a b 凱旋門賞、芝の最高賞金レースへ(フランス)[開催・運営]”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年4月25日閲覧。
  36. ^ 凱旋門賞ウィークエンド強化のために賞金額を増加(フランス)[開催・運営]”. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (2012年1月19日). 2012年10月9日閲覧。
  37. ^ 英国ちゃんぴおんずでー、世界中の高額競馬イベントをライバル視(イギリス)【開催・運営】”. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (2011年11月18日). 2012年10月9日閲覧。
  38. ^ 英国、フランス、愛国が秋の主要競走見直し(欧州)[開催・運営]”. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (2012年4月12日). 2012年10月9日閲覧。
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  47. ^ 野元賢一 (2023年9月4日). “日本馬、凱旋門賞に尻込み?”. 日本経済新聞. 2023年12月23日閲覧。
  48. ^ 河村清明 (2022年7月2日). “「日本競馬の『凱旋門賞狂騒曲』に終止符を打つ」 タイトルホルダー生産者・岡田牧雄氏 特別インタビュー”. マネー現代. 講談社. 2023年12月23日閲覧。
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  63. ^ 日本馬に厄介な仏の重馬場 巧拙は走ってみないと分からない | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年4月25日閲覧。
  64. ^ 凱旋門賞をルメール、福永、和田竜が分析 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年4月25日閲覧。
  65. ^ 欧州の馬場は本当に重いのか? 先入観を捨てないと、凱旋門賞は見えてこない(平松さとし) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2022年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月25日閲覧。
  66. ^ 凱旋門賞の日本馬の敗因は本当に『重い馬場』だったのか?(平松さとし) - 個人”. Yahoo!ニュース. 2022年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月25日閲覧。
  67. ^ 『重賞競走一覧 令和5年』日本中央競馬会、137頁。 



凱旋門賞

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ダイアトム」の記事における「凱旋門賞」の解説

こうしてダイアトムこの年フランス3歳馬としては3番手の評価甘んじることになったが、秋にシーバードルリアンスともにいないプランスドランジュ賞を2馬身半差で楽勝しフランス最大レースである第44回凱旋門賞挑むことになったこの年の凱旋門賞には、シーバードルリアンス二強揃って出てきたが、ほかにもアイルランドソ連からダービー馬が遠征してきたし、アメリカからも最良3歳馬トムロルフ遠征してきて、凱旋門賞史上、最も層の厚い顔ぶれになったダイアトムにはフリーライドFree Ride)という僚馬がおり、同馬主の馬は一つ馬券みなされ発売されるのだが、このダイアトムフリーライドカップル馬券は、シーバードリライアンスに次ぐ3番人気8.5倍だった。 この年ロンシャン競馬場では、前週から降り続いた影響で、コース重くなって非常にスタミナ要求される馬場になったトムロルフシーバードルリアンスらが比較先行したのに対しダイアトム後ろ控えてレース進めた中盤過ぎて坂を下り始めると、有力馬はこぞって前へ出て行きダイアトム後方から差を詰めた最後直線では、大方の予想反しシーバードワンサイドゲームとなった余裕持って手綱緩めたシーバードは、それでも2着のルリアンスに6馬身の差をつけた。ルリアンスから更に5馬身離れた3着にダイアトム入り後方から追い込んだフリーライド短頭差で4着になった

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凱旋門賞

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第64回有馬記念」の記事における「凱旋門賞」の解説

2019年10月6日 第98回凱旋門賞(G1)馬場状態:重着順馬名調教国)性齢騎手斤量タイム着差人気JRA)1ヴァルトガイスト 牡5 P.ブドー 59.5 2:31.9 9 2エネイブル 牝5 L.デットーリ 58 1馬身3/4 1 3ソットサス 牡3 C.デムーロ 56.5 1馬3/4 3 7キセキ 牡5 C.スミヨン 59.5 7 12フィエールマン 牡4 C.ルメール 59.5 4 詳細は「第98回凱旋門賞」を参照 凱旋門賞は、イギリスヴァルトガイスト制した参戦した3頭の日本調教馬キセキフィエールマンブラストワンピース)のうち最先着である7着はキセキ騎乗したクリストフ・スミヨンは、「とても良いレースでした。ずっとヴァルトガイストの隣を走っていて、3コーナーから4コーナーまで順調でしたが、直線スピード上げることができませんでした。パリロンシャンの馬場は特殊で、この粘りの強い馬場キセキには適してませんでした」と振り返り管理する角居勝彦調教師は、「残念です。前目での競馬をする作戦だったので、思っていたポジションとは違いました馬群入りましたが、それほど引っ掛かっていなかったように思いますし、この馬場も苦手ではなかったはずですが、やはり日本馬にこの馬場をこなすのは難しいですね。ヴィクトワールピサ以来でしたが、凱旋門賞は世界名馬、名調教師集うレースで、この挑戦楽しかったです。」とコメントした12頭中11着に敗れたブラストワンピースから、さらに15馬身離され最下位12着にフィエールマン騎乗したクリストフ・ルメールは、「残念です。もっと良い結果求めましたが、早目にバテしまいました馬場が重すぎて走りにくかったので、加速できませんでした。馬のコンディション良かったのですが、パリロンシャンのコース難しい。やはりもっと速い馬場良いです前に行ったのは作戦ではありませんでしたが、スタート良かったのであのポジションなりました。それでちょっと引っ掛かってしまった。」と回顧し管理している手塚貴久調教師は「正攻法競馬打ちのめされました。馬場歩いて後ろ目での作戦立てていましたが、思った以上に良いスタート切れて面食らいましたレース中はそれでも粘ってくれるかと期待しましたが、やはり難しかったですニューマーケットからの輸送でしたが、状態は良く落ち着いていたし、レースまでの流れ良かった思います馬場悪さ分かっていたことなので敗因にはできません。凱旋門賞のような最高峰レースに、しっかりと調整して本番向かえたのは良い経験なりました。これをどこかで生かしたいし、またリベンジしたいと思います。」とした。 レース後、10月9日フィエールマンが、翌10日キセキ成田国際空港それぞれ帰国競馬学校国際厩舎入厩し、輸入検疫が行われた。

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凱旋門賞

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日本調教馬の日本国外への遠征」の記事における「凱旋門賞」の解説

この競走世界最高峰レース一つとして名高く日本からは1969年スピードシンボリ挑戦して以来2014年時点17頭(19回)という数々日本代表する馬が挑戦しているが、未だ優勝した馬はいない。日本馬の最高着順4度の2着であり(1999年エルコンドルパサー2010年ナカヤマフェスタ2012年および2013年オルフェーヴル)、これらは非欧州調教馬の最高着順である。この競走日本馬出走した場合地上波放送でも中継組まれてきた。 このレース出走する日本馬は他のレース比べて格段に実績のあるものが多い。また日本ダービー宝塚記念前年有馬記念などの優勝馬が当レース出走するという報道には枚挙にいとまがない。 回施行日参戦馬名英語表記性齢騎手管理調教師着順出典第48回 1969年10月05スピードシンボリ Speed Symboli 牡6 野平祐二 野平省三 着外11着以下) 第51回 1972年10月08メジロムサシ Mejiro Musashi 牡5 野平祐二 大久保末吉 18第65回 1986年10月05シリウスシンボリ Sirius Symboli 牡4 M.フィリッペロン 二本柳俊夫 14第78回 1999年10月03エルコンドルパサー El Condor Pasa 牡4 蛯名正義 二ノ宮敬宇 2着 第81回 2002年10月06マンハッタンカフェ Manhattan Cafe 牡4 蛯名正義 小島太 13第83回 2004年10月03タップダンスシチー Tap Dance City 牡7 佐藤哲三 佐々木晶三 17第85回 2006年10月01ディープインパクト Deep Impact 牡4 武豊 池江泰郎 失格3位入線第87回 2008年10月05メイショウサムソン Meisho Samson 牡5 武豊 高橋成忠 10第89回 2010年10月03ナカヤマフェスタ Nakayama Festa 牡4 蛯名正義 二ノ宮敬宇 2着 ヴィクトワールピサ Victoire Pisa 牡3 武豊 角居勝彦 7着(8位入線第90回 2011年10月02ヒルノダムール Hiruno D'Amour 牡4 藤田伸二 昆貢 10ナカヤマフェスタ Nakayama Festa 牡5 蛯名正義 二ノ宮敬宇 11第91回 2012年10月07オルフェーヴル Orfevre 牡4 C.スミヨン 池江泰寿 2着 アヴェンティーノ Aventino 牡8 A.クラストゥス 池江泰寿 17第92回 2013年10月06オルフェーヴル Orfevre 牡5 C.スミヨン 池江泰寿 2着 キズナ Kizuna 牡3 武豊 佐々木晶三 4着 第93回 2014年10月05ハープスター Harp Star 牝3 川田将雅 松田博資 6着 ジャスタウェイ Just a Way 牡5 福永祐一 須貝尚介 8着 ゴールドシップ Gold Ship 牡5 横山典弘 須貝尚介 14第95回 2016年10月02マカヒキ Makahiki 牡3 C.ルメール 友道康夫 14第96回 2017年10月01サトノダイヤモンド Satono Diamond 牡4 C.ルメール 池江泰寿 15サトノノブレス Satono Noblesse 牡7 川田将雅 池江泰寿 16第97回 2018年10月07クリンチャー Clincher 牡4 武豊 宮本博 17第98回 2019年10月06キセキ Kiseki 牡5 C.スミヨン 角居勝彦 7着 ブラストワンピース Blast Onepiece 牡4 川田将雅 大竹正博 11フィエールマン Fierement 牡4 C.ルメール 手塚貴久 12着 第992020年10月04ディアドラ Deirdre 牝6 J.スペンサー 橋田満 8着 第1002021年10月03クロノジェネシス Chrono Genesis 牝5 O.マーフィー 斉藤崇史 7着 ディープボンド Deep Bond 牡4 M.バルザローナ 大久保龍志 14

※この「凱旋門賞」の解説は、「日本調教馬の日本国外への遠征」の解説の一部です。
「凱旋門賞」を含む「日本調教馬の日本国外への遠征」の記事については、「日本調教馬の日本国外への遠征」の概要を参照ください。


凱旋門賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:21 UTC 版)

ニジンスキー (競走馬)」の記事における「凱旋門賞」の解説

10月4日ニジンスキーフランスロンシャン競馬場行われる凱旋門賞に出走し単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された。ニジンスキーの状態に対して若干の不安を申し立てる者もいないわけではなかったが、アイルランドでの主戦であるウォード騎手が「もしニジンスキー負けるようなことがあったら、裸でアイルランドまで歩いて帰ってやるよ」と豪語したように、大多数ニジンスキー12全勝で凱旋門賞を制する信じて疑わなかった。 オマー・シャリフ、ケヴィン・マクロリー両氏ニジンスキーにいくら賭けるか話し合っている姿も目撃された。その金額から察するに、ふたりはニジンスキー負け確率は、自分たちがアポロ計画参加する確率同じくらいだとみているようだった。 — 『凱旋門賞の歴史第三巻p122 より 相手筆頭8.5倍のジルで、ニジンスキーとは対照的にダービーの後は7月末のサンクルー大賞典勝って、ゆっくり休みをとって挑んできた。3番人気は9.75倍のイタリアオルティスで、イタリア大賞en)でデシースを5馬身差で破り、更にいくつもレース圧勝してイタリアでは「第二リボー」と呼ばれていた。4番人気20倍)のササフラフランスだけで走っていた馬で、フランスダービー優勝馬である。ササフラ仕上がり不足のロワイヤルオーク賞本命になったが、不利を受けて2位になり、結果的に1位の馬が降着になって繰り上がり優勝したのだが、この印象悪く、凱旋門賞では人気落としていた。 レース前パドックではカメラマン大観衆に取り囲まれて、ジル激しく入れ込んで発汗し何度も後ろ脚跳ねあげていた。ニジンスキー同じよう発汗してダービーキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス勝った時ほど状態は良くないように見えたスタートすると、有力馬のペースメイカー飛び出しササフラオルティスらがこれに続いたジル抑えられていたが、折り合い欠いていた。ニジンスキーいつものように後方10番手に控えていた。坂の頂上過ぎたあたりでオルティス先頭立ったが、直線に向くと追走苦しくなった。ニジンスキー進出始めたが、まだ先頭から10馬身後方だった。残り400メートルササフラ先頭立ったが、ニジンスキーはようやく外に行き場見つけたところで、まだ8馬身遅れていた。残り200メートルのところでニジンスキーはようやくいつもの伸び脚を発揮し、他馬を抜いてササフラ後ろまで追い込んできた。ササフラ並んだのは残り100メートルで、あと90メートル地点でやっと首ひとつだけササフラ抜いて先頭出た。しかしその直後、ピゴットがニジンスキーに鞭を入れたところ、それまで鞭で叩かれ経験のなかったニジンスキー驚いて左によれてしまった。残り20メートルササフラ差し返したところでゴールとなった写真判定となったが、ニジンスキーアタマ差の2着に敗れた馬場状態理想的な状態ではなかったが、従来レコードに1秒差に迫る早いタイムでの決着だった。

※この「凱旋門賞」の解説は、「ニジンスキー (競走馬)」の解説の一部です。
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