入厩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 08:17 UTC 版)
荻伏牧場で育成調教が積まれた後、競走年齢の3歳を迎えた1981年4月3日、滋賀県栗東トレーニングセンターの伊藤修司厩舎に入る。競走馬名は幼名に日隈が使用する冠名「ハギノ」を加えた「ハギノカムイオー」となった。当日厩舎を訪れた人数は、報道陣、競馬関係者など100人を越えた。 その後は姉トップレディと同様に8月の函館開催を目標に調教が進められたが、7月に函館入りした後、左前脚に軽度の亀裂骨折を生じ、放牧に出される。これに伴いデビュー予定は大幅に遅れ、初戦は翌1982年までずれ込んだ。
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