入門・弟子入りとは? わかりやすく解説

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入門・弟子入り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 05:27 UTC 版)

笑福亭鶴瓶」の記事における「入門・弟子入り」の解説

中退前の駿河当初3代目笑福亭仁鶴への弟子入り考えていたが、観覧した落語会での6代目笑福亭松鶴口演とりわけ客先にいた僧侶見てネタ忘れたという理由オチだけを話して高座降りたことに「おもろい」と強い印象を受け、への弟子入り決める。1971年1月の「京都市寄席」の楽屋口弟子入り試みたが、「知らん人が見たヤクザのような弟子の姿におののいて声をかけられず、1年後自宅訪れることになった。 この訪問では居留守使われ粘って根負けし会ったからは、入門は親の承諾条件で、連れてくるように言われる駿河一計案じて、「喧嘩相手負傷させ、謝らなくてはならない」という理由父親同行させ、から正式な入門許し得た1972年2月14日11番弟子として入門する入門から間もない頃、まだ高座名も与えられない時に島之内寄席来場者下足番任された際に、名前も社名言わず入場しようとした新聞記者対しそれまで横柄な態度を腹に据えかねて「顔パス」を咎めたところ、下足札投げつけられて「お前誰や!」と問われる弟子答えると、のいる楽屋に連れて行かれた。鶴瓶から問われてこの経緯話した。するとは、鶴瓶を「向こう行け」と遠ざけてから、将来取材する対象になるかもしれない相手ではないか記者罵倒した。この件で鶴瓶は、「このおやっさん付いていこ」と心服する。 「鶴瓶」という高座名が付くまでの経緯については、鶴瓶自身時期によって異な説明をしている。1982年著書では、 入門からしばらくは高座名がなく、問われたときはやむなく笑福駿河」と名乗ったりしていた。まもなくから「どっかひとつ抜けたとこあるしな……そうや、昔井戸で"つるべ"て使うてたやろ。なんやお前は、井戸のつるべのタガ抜けたみたいなとこあるし」という理由で「鶴瓶」の名を与えられた。 としていた。これに対して2013年聞き書きでは 入門翌月ラジオ大阪ABCラジオ番組出演したときにはすでに「鶴瓶」の名前で出演していた。からは「之(つるゆき)」と「鶴瓶」の二つの名前から選ぶよう言われ、「鶴瓶」を選んだ兄弟子笑福亭鶴光弟子入り時に之」と「鶴光」を示されており、そのこと鶴光から教えられた)。するとは『落語系図』で先代鶴瓶(本記事冒頭節を参照)について見るよう指示し、それを見ておもろい名前つけてもろたなあと不思議な気持ちになった。 としている。 同年9月26日島之内寄席にて初舞台初舞台演目について、新野新著書1975年)では「東の旅 発端」としているが、鶴瓶自身2013年聞き書きで(同じ「東の旅」の一編である)「煮売屋であった述べ人体の「逆さ言葉」を言う下りの「耳」のところで「ミンミン餃子、おいしいな」というくすぐり入れて受けを取ったから「よけいなこと入れやがって!」と叱られたとしている。 からはほとんど落語稽古付けられることはなかった。兄弟子である笑福亭松枝エッセイのほか、鶴瓶自身回想によれば鶴瓶は「ある意味えらい怒られ稽古をつけてもらえなかった」存在であり、機嫌のよいときに兄弟子笑福亭松葉に「稽古頼めよ!」とけしかけられ稽古頼み込むと、鶴瓶目の前に顔を突き出した挙句、「嫌や!」と突き放されたこともあった。ついには、「鶴瓶が聞いとるさかい風呂行って稽古しょう!」と他の弟子引き連れて逃げ回られ事態発展した盟友であった5代目桂文枝はこのことについて「稽古の必要はないと思ってるからや」と分析しており、また鶴瓶松葉など年の近い兄弟子可愛がられるための、による気配りであることを示唆している。また、鶴瓶5代目ともども自身5代目からあまりネタ教えてもらうことがなかったことが、稽古をつけなかったことの伏線みなしている。鶴瓶自身は、が形にはめるよりも「あんまりいじくりまわさんほうがええ」と考えていたのではないか述べている。不在時にの妻(「あーちゃん」と呼ばれていた)から三味線落語稽古付けられることもあった。 ある落語コンクールでは、前記の『堀の内』に古典落語なのにオートバイ乗った人物登場させるなど、「男子校向け」のアレンジ適当に加えて演じた審査員からは「時代錯誤甚だしい」と酷評され、やはり審査員であるからは「こんなん、落語おまへん。こいつには稽古つけてまへん」とまで言われる。だが、帰り道鶴瓶尻を叩いて「おまえのが一番おもろかった」と告げたそのほかにも、高座ラジカセ持ち込み笑い欲しシーンスイッチ入れて笑い声出し、客の笑いをあおるなど、当時としては斬新なアイデア披露したりしたが、これも楽屋叱られてしまった。ただしそのも、若手時代には高座バレリーナ扮して先代から怒られている。3代目桂米朝によれば3代目桂米之助作の新作落語白鳥の死」の口演のためだという。 入門当時には、小学6年生12歳兄弟子笑福亭手遊おもちゃ入門1971年10月)がおり、入門順が序列となる落語界しきたり従い、彼を「兄さん」と呼び、手遊からも「兄弟子」として振る舞われることがあった。ただし、小学生の手遊を大人鶴瓶が「兄さん」と呼んで話す様が面白がられて二人でラジオ番組何度も出演し結果として番組に出る機会増え、「鶴瓶いうやつ、おもろいねんな」と思われるようになったと、2013年聞き書きでは述べている。一方、手遊の上兄弟子である笑福亭松葉没後7代目笑福亭松鶴追贈される)には面倒を見てもらい、仲のよい兄弟弟子となる。のちに松竹芸能社長から7代目誰がいいかと問われたときに、鶴瓶は「松葉答えた」という。 若手時代鶴瓶アフロヘアーオーバーオールという落語家らしくないスタイル続けていた。3代目桂春団治師匠からは髪を切れと何度も言われたが(春団治は「金をやるから切ってくれ」とも言い実際に金銭渡した)、鶴瓶は従うことはなく、またや春団治もそれを楽しんでいる風があって、途中から何も言わなくなったという。鶴瓶は、吉本興業所属桂三枝笑福亭仁鶴比べ自身所属する松竹芸能落語家年齢が高いというイメージがあり、落語家の「古臭い感じ」に対す反発からそうしたファッションをしていた。 1970年代前半は、ユリ・ゲラーはじめとする超能力・エスパーブームの時期だった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}活動の場早く欲しかった鶴瓶は、超能力透視スプーン曲げ)が使えることを打ち明け鶴瓶超能力目の当たりにした驚愕しウチ超能力を使う弟子がおる」と自らがテレビ局鶴瓶売り込む当然ながら超能力テーブルマジックの類で、周囲仕掛け漏らしつつ頭から超能力を持つ弟子信じ切っているという場面持ち込み必死になって売り込む便乗して業界関係者に顔と名前を覚えてもらい、これを手がかりテレビ、ラジオ進出する足場作る。後に兄弟子笑福亭仁鶴鶴瓶イカサマ超能力暴き梯子外され格好になった。[要出典]また、このスプーン曲げ上岡龍太郎不興買った鶴瓶正直に事情話し上岡笑って誤解解いた鶴瓶上岡はこれが縁で互い楽屋訪れるようになり、その鶴瓶楽屋話面白ということで『激突夜話』『パペポTV』へとつながっていった。 1974年10月12日結婚結婚式大阪市中央区の「高津神社」で執り行われた。鶴瓶玲子交際始めた年に「10年後の1980年12月23日結婚する」と約束していたが、玲子妊娠したことから6年早い結婚となった玲子の親の承諾を得ないままでの結婚だったため、玲子側の参加者がいない異例の式だった。仲人師匠務めたが、弟子13人の中で鶴瓶が一番「アホ」というスピーチをした。

※この「入門・弟子入り」の解説は、「笑福亭鶴瓶」の解説の一部です。
「入門・弟子入り」を含む「笑福亭鶴瓶」の記事については、「笑福亭鶴瓶」の概要を参照ください。

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